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モルジブ共和国だそうです。
これは首府マーレのある島で、最も大きいらしいです。1000個もの島々で出来ている国でイギリス保護領から1965年に独立しました。全部で淡路島の約半分の面積だそうです。観光・リゾートと漁業が主たる生業です。イスラム教の国です。モルジブと言う意味は島々の花輪と言う意味だそうです。
一つの島が飛行機場島になっていたりして、島々への交通はドーニと言う渡し船でわたります。島一つ一つがリゾート地となっていて面白いところでした。殆どが平坦な島々で、上空からみるとすべて珊瑚礁に囲まれています。
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クルンバビレッジと言うリゾートの小島に行きました。一回りするのに何分もかからないような島でした。沢山のコッテージがあり、ホテルもありました。この海岸でスケッチをしていたら、現地の人でしょうか、ココナツを割ってもってきてくれました。個人的な好意のようでしたので、チップを少し渡しました。素晴らしくきれいな澄み切った海に囲まれています。ドーニと言う渡船を待つ間に、海を覗いたらトロピカルフィッシュが沢山いました。そして子猫程もある黒い塊!何とナマコです。それも沢山いました。好きだと言う訳でもありませんが、こんな大きなナマコを食べられるのかしらと思いました。オキナワの人に聞きましたら、これも食べられるんだそうですね。ビックリです。
ナマコでお腹がイッパイなんて言うことを想像して、笑ってしまいました。
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インド・ムンバイです |
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マラッカ海峡を緊張した雰囲気で通過しました。海賊に供えて防備の準備は、客船では何もないのです。ホースで水をかけるのが、唯一だとクルーが笑いながら話しましたが、どうでしょうか。
今日はインド・ムンバイにつきました。ここは軍港をかねているので写真は撮られませんが、港の時計は十二時二十六分で止まり、倉庫のトタンはあながあいていると言うところです。原爆をもっている国なのだけれど、・・・・。考えさせられました。軍楽隊の演奏で迎えられ、紅バラを一輪頂きました。
「右も左もご存じない」と言う言葉がありますが、ここでのガイドさんは日本語が駄目。右を見て下さいは、左という有様です。まぁそれはいいとして置きましょう。
ジャイナ教の寺院の様子です。ヒンズー教の一派であるジャイナ教の信者は熱心にその教義を守り、寺院はありとあらゆるところ美しく飾り立てて、天井画の極彩色そして極彩色された仏像、香の匂いが立ちこめています。信者達がその前で熱心に祈っていて、われわれが入っていっても気にもとめない有様でした。
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乞食、身体的な障碍をもつらしい人々、がらくたの物売りなどがつきまとうのが、当然のような街でした。
観光にと言うよりも、見せ物を見るような感覚で、大洗濯場を見ました。小さな区画の一つ一つを占有して、洗濯を業とする人々が集まっています。川の傍にでもあるのかと思っていましたら、地下水を使っているのだそうです。この状態を洗濯をしているところだと見ることが出来ますでしょうか?殆ど泥水のような水たまりです。石に洗濯物を打ちつけるようにして洗っていました。それを乾いた土の上にひろげて乾かしているのでした。この職業も厳しいカースト制のもとでは、下から二番目のランクに属したものでなければ、つけないのだとか・・・・。
なんとも不思議で恐ろしい洗濯風景でした。そして、それを見て、ビックリしているわれわれも不思議な感じにみえるのでしょうね。
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この極端は何でしょうか? |
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プリンスオブウエールス博物館に行きました。門の前までつきまとわれましたが、流石門の中には入れません。イギリス支配下時代の石造りの博物館は収集品もかなりと想像されますが、整理が今ひとつだったのが残念でした。
インド門の前で写した写真ですが、まだ若い男が無為にだらーんと伸びて昼寝をしています。
背景はタジマハールホテルです。この対比をごらん下さい。このホテルは高級で輝くばかりのものでした。イギリス支配下の時にカラードのインド人の大金持ちがホワイトに対抗して造ったホテルだとかで、高級です。あの貧しさとの格差は何なのだろうかと考えさせられました。
午後六時出港しましたが、紺碧のアラビア海と言う感じは全くありません。泥海です。時々大きなゴミの塊がプカプカと浮かんで泥水の上を転がるように流れてゆくのが見えます。
この日は、日が沈み辺りが暗くなるまで泥で汚れた海はつづいていました。
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