ホンコン
|
インド | U A E | ヨルダン | エジプト | イスラエル | トルコ | ギリシャ | イタリー |
スペイン | ジブラルタル | U S A | メキシコ | パナマ | U S A |
4月21日 | バルセロナ |
スペインは地方意識の強いところで、バルセロナのあるところはカタルーニァ地方。スペインであっても、カタルーニァなのだそうです。バルセロナを見てスペインを見たとは言えないところが不思議です。この地方はダリ、ミロ、ガウディ、ピカソなど、烈し開拓的な見地を持った芸術家を生んだところです。 ゴシック地区にあるカテドラルにゆきます。バルセロナの守護神であり、基督教に殉じて拷問を受けて亡くなった聖女「サンタ・エウラリア」を祀っています。13世紀から150年かけて,ロマネスク洋式で建築が始められ、最後には華麗なステンドグラスでかざったゴシック様式で完工したのだそうです。時間がなくて中にははいりませんでしたが、このカテドラルの前庭で、ギターを弾く男がいて、それが壁面に反響して得も言われぬ雰囲気でした。 ピカソ美術館に入りました。ピカソはマラガの生まれですが、バルセロナでの生活が長く、この風土の影響が強いのです。美術館は昔の貴族の家を国が美術館としたのだそうです。14歳から19歳までの画家としての基本がここにあるそうで、若書きのスケッチや、天才的なひらめきを見せる作品をはじめとして有名なラスメニーナスの習作などが展示されていて、面白い美術館でした。 |
|
写真はガウディ設計のザグラダ・ファミリア教会の大聖堂の正面に当たるところです。写真にとるなんて大それたことのようでした。あまりに大きく、複雑で、とても一枚の写真にはできません。 何と言っても、この大聖堂が一番の話題でしょう。 途中の街の中で、ガウディのミラ邸、パトリョ邸などの独特の建築物を見て(バスの窓から)来ましたが、この聖堂はまさに異様な雰囲気を持っていました。 これから先、完成までに200年をみていると言うのですから、最終完成時にどのようになっているのか想像することさえ出来ません。 内部からは恰も工場のように石が削られている音でしょうか、工事が進められている音が響いてきています。もの凄いとしか表現できないのでした。 古来の聖堂も世紀を超えて造られて来た歴史がありますしそうでなければ、これほどのものは出来ないでしょうね。 この聖堂が完成するころ、基督教はどのような宗教になっているのだろうかと独り考えてしまいました。 港のすぐ近くにあるコロンブスの銅像ですが指さしているのはアメリカの方角からすこしずれているとか・・・。 スペイン美人の顔を現したと言う不思議な原色の像(さすがピカソの国と言う感じ・・・)が立つ広場を過ぎてモンジュイック公園に行きます。金雀児、ニセアカシア、マロニエなどが花盛り、プラタナスが葉をひろげ始めており、明るいスペインをイメージさせるところでした。 |
グエル公園 | |
ここははじめ分譲地としてグエル氏がガウディに設計を依頼したのだそうですが、分譲地ではなく面白い公園になっています。バルセロナと言えば必ずガウディ、そしてザグラダ・ファミリア大聖堂、そしてここ・・・・。 その奇妙とも思える設計は当時は一般にはあまり受け入れられるようなものではなかったのではと考えます。ガウディは「神の御手によるものには直線はない」と言ったのだそうです。成る程そのとおりですよね。 うねる屋根、窓枠、煙突のデザインもまことに不思議な造形です。 公園の通路はシュロの木の幹を象っていて、いまにも崩れそうな石の積み方ですが、それが崩れないのですね。とりどりのタイルで飾られている波打つ長いすはとても座り心地がよくて訝しく思うくらいでした。 それにしてもこの設計を現実のものにした職人達はどんな気持だったのでしょうね。 少し離れたレストランで昼食をしました。清潔で明るいレストランでしたが、消毒のカルキの匂いが凄かったです。この国の時間はゆっくり流れていると言うことをしみじみと感じさせられるスローなサービスで、昼食に2時間かかりました。メニューはクリームスープ、サラダ、パエリア、珈琲だけだったのですけれど・・・・・。 |
4月23日 | ジブラルタル海峡・モロッコの山 |
岩山に灯る明かりが美しいジブラルタルにつきました。右側がジブラルタルの岩山、左にモロッコの山が見えます。盆地に出来た湖がここで海に流れ出て大西洋とつながったのです。ギリシャ神話ではヘラクレスが陸地を分けたときの二つの柱がこれらの山だと言うわけです。岩山一つしかないと言えるイギリス領地で、港から5,6分も車を走らせると、スペインと国境になります。トラファルガーの海戦で勝利をしたネルソン提督の軍艦を修理した記録がのこり、今でもこの辺の要衝です。海峡の一番狭いと処は15キロしかないとのことです。ヘラクレスの分けた2本の柱から出てはならない「NON PLUS ULTRA」と言う言葉を破って、コロンブスが大西洋に向けて出航したところです。 サンミッシェル鍾乳洞は乾いた鍾乳洞で、今は成長していないので、音楽堂として使われているとかで、赤い椅子が沢山並べられていました。 経度ゼロのところですので、記念に地図を買いにダウンタウンを歩きました。日本はFar Eastと言うことがよく分かる地図でした。 |