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5月8日 | メキシコ・カンクーン |
マイアミi空港で出国審査を受けて1時間40分の飛行で、着いたカン・クーンです。カン(蛇)・クーン(巣)と言う意味だそうです.BC3000年頃から人が住んでいた形跡があるところだそうです。時差が一時間あります。 あまり大きくない木々がびっしりとしげり合うジャングルです。ところどころで煙が立ち上っているのが見えますが、これは焼き畑農業の作業なのだそうです。 ホテルはビーチを持っていて窓からご覧のようなきれいな海が見渡せます。 ホテルでの夕食はメキシコ料理とのことでした。辛い調味のものが別皿に添付された野菜のスープ。マッシュした豆。牛肉のステーキ。トルテーヤと言うコーンが主体の薄焼きパンにいろんなものを包んで食べるのだそうですが、馴れないので困りました。(美味しそうだと思いますか?)ガイド達は大変なご馳走だと大喜びでした。デザートはムースと珈琲。 朝、浜に出てみますとまるでハワイか、マイアミかと思う程のきれいな砂浜です。(ハワイは人工の砂浜だそうですが)むしろそれらよりも綺麗です。新婚旅行にはピッタリですね。私たちにはもう体験できないことなのですが・・・・・。 |
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5月9日 | チチェンイツア・暦のピラミッド |
バスで3時間近いドライブ。殆ど行き交う車はありません。コンドルが舞うのが見られました。チュウインガムの材料のチコルを採取するチコサポーテと言う樹木が漆を採取するような傷をつけられて沢山ありました。 チ(口)チェ(井戸)イツア(部族)と言うマヤ語だそうです。乾いた石をつみあげたピラミッドは、太陽の昇る四季それぞれの方角がキチンと計算されて窓が造られています。神殿として造られたこれらのピラミッドはマヤの天文気象の知識の集大成であったと見えます。マヤ族は陸地がつながっていた頃、ベーリング海を超えて来たモンゴル系の民族と考えられています。ここの文明は川のほとりに発生したものとは異なり雨にたよるものだったので、雨季の研究が必要となり、天文気象に長けたのだと考えられるのだそうです。そしてこのデザイン感覚は魅力です。スペイン支配前までは、このように確たる文明があったはずなのに、たった500年で何もわからない伝説のようになってしまうのですね。 古代の球技場(勝者は生け贄になる・強いものを生け贄にすると言うのは名誉でしょうか?)雨が降ることを願って生け贄を捧げたんですね。 生け贄の泉は大きな湧き水だと聞いて覗き込むと青緑色にドロリと濁っていて聖なるところとは思えませんでした。20世紀初め、この生け贄の泉をかいてマヤの遺物を採取した人がいたそうです。汚れた水の底から子供の骨、男女の骨などかなりの数の人骨を見出したとのことでした。 暑い日に照らされている暦のピラミッドに、心を決めて登りました。92段、斜度45度の階段は思ったよりも登りやすく、上から見下ろすと一望の中に焼き畑の煙が何カ所も見えました。下りは一苦労。綱につかまって後ろ向きになって3分の2くらい、よろよろと下って、やっとたどり着いた地面で汗がドバーッとふきだしましたが、これもすぐ乾きます。 |
メキシカンダンスショー | |
シャワーを浴びてさっぱりしてから、夕食のレストランに出かけました。メキシカンダンスのショーが8時からはじまります。各種パンと例のコーン入りの薄いパン(これに巻いて料理を食べます)鯛みたいな白身魚の唐揚げにトマトソース・付け合わせはインディカライスです。昨日と同じ様な野菜スープ(辛い調味料が4種類)。何だかいつも食べ物の話ばかりして、食いしん坊は仕方がないですね。 メキシカンダンスは楽しかったです。 ソンブレロを被ったいい男が5人出て来て演奏しましたが、その格好が面白かったので、ノートの隅にチョット落書き風にスケッチしたら、気がついたみたいで、帰りしなにニット笑って書くまねをしました。私の絵は見せられるようなシロモノではありませんでしたが・・・・。綺麗な衣裳の女性達が物語風なダンスを見せてくれたのが印象的でした。 |
6月10日 | トルムの遺跡 |
今日はトルムの遺跡です。昨日と同じ長い道中。バスを降りると遺跡の入口まで小さな連結車で運ばれます。入口は細くてすれ違うことが出来ない程の石の門でした。石で造られた壁がいくつもの神殿の立っている広場をぐるりと取り囲んでいます。チチェンイツアよりも少し遅くできたものだといいましたが、高い神殿から望むカリブ海の青は言葉にならない美しさです。海から侵入して来たスペイン人と初めて戦ったのはここだったのでしょうか。 少し離れたところに鍾乳洞の入口があり、水がたまっていました。生活用水だっただろうと聞きました。 暑い草生の彼方此方にイグアナが警戒の姿勢をして、こちらを窺っています。近づくともの凄い早さで逃げてしまいます。草食性でおとなしいとは聞いていましたが、何となく不気味な感じがします。この次のドラマはパナマ運河。楽しみです。 |
5月13日 | パナマ運河 |
クリストバルの港外から運河の入口まで順番待ちです。 ヴィスタラウンジに陣取って通峡の水門の開くのをみようと待ちかまえています。まるで工場のような風景で、意外にあっさりと水門は開きました。前に3段の水門を超えて山の上にいるような船が見えます。隣にパナマックス(パナマ運河を通れる最大の幅)ぎりぎりのコンテナ船が入っていてしばらく並行しました。 この後、世界最大の人工湖・ガツン湖に入りますと、全く熱帯の風景。岸辺までひったりと樹木が生い茂っています。ここは誘導ブイに従っての航行です。沢山の船が屯していました。この運河が1880年、120年以上も前にレセップスの構想によるものと聞けば驚きますよネ。岸壁を削って造成して、一方通行になっている渓谷に入ります。さまざまな鳥の声、蝉の声が聞こえ、空には悠然とコンドルが飛んでいます。緑色のインコに似た鳥も舳先まで群れよって来ました。 「ワニです」とアナウンス。かなりの大きさのワニがまた大きな餌の魚と格闘中でした。 太平洋と大西洋の水位差は8メートルだそうですが、その分水嶺を切り開き、海をつなげると言う大工事だったわけですネ。ワニのいる川なんですよ。ここは・・・・。 朝6時からはじまり、その水位にあがったのは7時近くでした。 給油のために入港したパナマのバルボァ港には広場が目の前にあり、船の客目当ての出店がイッパイ建ちました。10時半まで船の長さまでの上陸が許可されて、パナマ帽を買うことができました。 |
5月17日 | アカプルコ |
アカプルコでは死のダイビングショーを見に出かけました。若い男達が50メートルもの高さの崖から打ち寄せる波の渦巻く入り江の海に飛び込みます。 引き締まった身体の美しさとその勇気に感動しますが、やはり祈りが必要なのでしょうね。飛び込む前に 胸に十字を切りました。 街路樹にマンゴの実がたわわになっています。ここはメキシコでは最も豊かな地域で、働かなくとも食べてゆける場所だとか・・・・。アカプルケーニョと言うのはナマケモノを意味すると言うことでした。 この街で、「支倉常長」の銅像を見ました。彼がイタリアに行く途中、帰る途中に立ち寄ったのがここだったからです。中央分離帯に建っていて南国の太陽を浴びていました。 |