茫茫漫遊記 初めての世界一周編


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4月1日 スエズ通航





紅海と地中海の水位差は20糎しかないのだそうです。ですからこのスエズ運河は大変に穏やかなものでした。途中に湖があるので運河の4分の1はこの湖だと言うことでした。乾燥地帯から、途中は砂漠、半乾燥地帯、地中海にでると、気候ががらりと変わるわけです。今回は砂嵐もなく、気持ちよく通航しました。
ところで、スエズから乗り込んできたエジプトのボートマンなる役人ですが、手癖が悪いから注意するようにと通達がありました。4人乗ってきたのですが、船のデッキで絵はがき、便せん、封筒、粗悪なパピルス、ベルト、アラバスターの花瓶、Tシャツ、切れそうもない鋏などなど・・・。乗客は冷やかし、値切ったりして買っていました。何が何だか解らない人たちでしたが、砂嵐があったり、予期しない出来事があると、彼らは彼らなりに働くのだそうですから面白いことでした。
砂に埋もれたように見える船は隣の運河を通っている船です。驚いてしまいます。

エジプト




アレキサンドリア着。ここからカイロまでツアーのバスを連ねてゆきます。パトカーが先導してゆきます。アレキサンドリアはアレキサンダー大王がここを征服の拠点としたところだと言うのです。ここに大王の墓があるはずなのですが、未だ見つかっていないそうです。途中、建築途中のような建物が多いのに驚きます。雨が殆ど降らない地域なので、出来るときに増築していくのだとか・・・・。
エジプトはピラミッドを造った五大王国、アスワンや王家の谷の新大王国の時代以降は殆どが被征服国としての歴史になっていますが、オスマントルコ、ナポレオン、そして英国とめまぐるしく異文化の洗礼をうけていますが、その文化も人類もやがてエジプトに一体化したとガイドは胸を張りました。確かにこの国には紀元前の文化も生き続けている感じがします。スエズ運河がイギリスの差配を受けたのは、国の貧窮のために建築時の株をイギリスに売り渡したからだと言いました。

ピラミッドは街のすぐ近くでした。




カイロへの道は地下水を利用した農園が多く、メロンオレンジなどは甘く美味しいそうでした。食用にする鳩の養殖小屋が見かけられます。
エジプトには大小九十八個ものピラミッドがあり、ギザ地区に約二十五キロ程度の周辺に集中しているそうです。ピラミッドは、カイロのすぐ近くにありました。王家の谷の方にはピラミッドはないのだそうです。最大のクフ王のそれは二百三十万個の二トン半から十五トンの石灰岩を積み上げて出来ていると聞けば、見あげる目も変わります。このピラミッドの辺りにも、物売りが屯していてつきまといます。
スフィンクス・一つの岩を彫ってできていますが、何しろ四千年の年月ですから、風化が進み、修復しているとは言っても決して元通りになるはずはありません。
エジプト考古学博物館にはいり、ツタンカーメンの黄金の発掘物を見ます。かなりの混雑です。黄金の輝きは紀元前二千年のものと思えない新鮮な輝きでした。発掘されてから七十余年のツタンカーメンの墓が盗掘の災難を受けなかったのは、当時の政治的な謀略のおかげだったと言うガイドの話を真実と聞けば、謀略もまたよきかな、と言う気持になります。

別の話ですが、エジプトの一般庶民の暮らしは未だに貧しくて公務員はアルバイトをするのが当然で、午後二時までの勤務時間が終われば、タクシードライバーになったり、観光みやげ品を売ったりするそうです。スエズ通航のときのボートマンを思い出しました。
平均年齢は、男性が六十一歳、女性が六十五歳程度と言うことでした。

ラシュワンさんです。




カイロの街に帰って、パピルスのお店に入りますと、驚いたことにここはあの柔道の山下さんとオリンピックで決勝を戦ったラシュワンさんのお店でした。あのとき足を痛めていた山下さんと、戦ったときのラシュワンさんです。今はこのお店のオーナーでした。にこにこと出て来られて、一緒に写真を撮ってくれました。
そうなるとやはり何枚かお土産用のパピルスを買わなければなりませんよね。握手をし日本語で有り難うと言われると嬉しくなってしまいますもの。これも日本的なのでしょうか?
一旦ホテルへ帰ります。ホテルに入るのにもボディチェックを受けました。二十四階の部屋から、カイロの街並みが一望できました。ナイル川で漁をする小舟も見ることができました。
漁と言ってものんびりしたものでした。

ベドウィンナイト




ピラミッド近くの野に建てたテントでの夕食でした。
歓迎の甘い柘榴のジュース。馬のダンス?火喰いの芸を見た後、絨毯を敷きつめたテントの中に低いテーブルと椅子に座って、ビュフェスタイルのエジプト料理を供されました。食べるもの、飲むものすべてエスニックでついて行けませんでした。
テントの一隅では、唸るようなアラビアの歌にあわせて、手をあげ足を上げてのダンスが始まりました。
それに合わせて踊る人たちもいましたが、私たちは外に出て、夜のピラミッドを照らす十七日の大きな月を見あげました。街の明かりも見えますが、そこここに警備の人影が見えて、少し緊張しました。
その内にベリーダンスが始まり、テーブルを廻って歩いているとのことで、テントに入りましたら、かなりの太めの中年の美人が、腰を振りながら踊っていました。男性向けですね。これは・・・・。

夜も更けてホテルに帰る途中、葬式が行われていました。赤い天幕を張って眩しい葬式でした。午後九時から始まって、十二時頃までと言うのが普通だそうです。
結婚式も午後九時から始まり午前四時頃まで大騒ぎをすると聞きました。夜は寝るものだと思っていましたが・・・・。お国が違えば違うものですね。

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