茫茫漫遊記 世界一まわり編(1)
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5月25日 サンクトペテルブルグ エルミタージュ美術館よりネバ川を望む

サンクトペテルブルグはネバ川のデルタ地帯に発達した所で北のヴェニスと言われるほどに 美しい街です。

ピョートル大帝が、欧羅巴への窓口として計画的に建設しました。65本の川と100を 超える島があります。

その歴史はこの都市が3回も改名していることでも窺える複雑さです。すなわち、最初はロシア正教の聖人・聖使徒ペテロから名付けられました。


1914年、第一次世界大戦が始まると、 ドイツ名だった読み方をやめてペトログラードとしました。1924年にはロシア革命でのレーニンの 功績をたたえる為にレニングラードとなり、ソ連崩壊後にサンクトペテルブルグにもどりました。

沢山あったレーニン像は今は3体が残っているそうです。

エルミタージュ美術館は女帝エカテリーナ2世が 冬の別荘にしていたことから、冬の宮殿とも呼ばれます。因みにエルミタージュとは「隠れ家」を 意味するそうです。

1050室・250万点を超えるコレクションは比類のないものです。

宮殿の窓から望むネバ川には、橋のすぐ向こうまで大型船舶が入って来ます。対岸は大学や研究機関が たちならんでいます。

2003年はサンクトペテルブルグ300年の記念の年に当たるのでいろいろお化粧中でした。私たちは2002年の訪問です。

エルミタージュ美術館のドアと回廊
何とも凄い装飾芸術!美術館の収蔵品はもちろんの事ながら、その内部装飾の すさまじいほどの絢爛豪華さは言葉に尽くせません。デジカメでも写し取ることができませんが、 まずは参考までに・・



日本で随分前にエルミタージュの展覧会が開かれたことがあり、その時にみたレンブラントのダナエも、 放蕩息子の帰還も懐かしくみました。ここで大きな溜息がでます。あぁあぁ・・・・。

ロシアは観光客誘致に熱心になり、ビザなしでも良いと言うことにそのうちなりそうですが、 今回はビザがないと埠頭にも下りられないと言うことでした。

入国管理も大変時間がかかりました。

埠頭ではなんと「君が代」を演奏して、出迎えたりする楽隊(要チップ)がいて、一寸複雑な感慨でした。

左のドアは鼈甲張りです。下はラファエロ回廊。写真集には素晴らしいものが 出ていますので比べないで下さい。それでも、自分の目で見てきた記念になりました。お目よごしまで・・・。

もちろんのことですが、 絵画館も凄かったです。特にカメラ禁止の特別展で、ドイツから 第二次世界大戦の戦利品として持ってきたものが展示されていました。まもなく返還しなければ ならないだろうとか言うはなしでしたが、近代、現代の作品がずらりと壁面を埋めていました。

サンクトペテルブルグ エルミタージュ美術館・玉 座二つ
絢爛豪華・目を奪うエルミタージュ美術館でした。陳腐ですがこんな表現になりました。 ロマノフ王朝・ロシア皇帝の権勢をまざまざと目にして、と言うより目にさせられて声がありませんでした。







エルミタージュ美術館の収蔵品については、皆様は充分にご存知でしょうから、写真は省略します。それに、 私の写真ではどうにも格好がつきません。

   

ロシアから葉書をだそうとして、いわゆる葉書の大きさの カードを選んで買ってかえり、さて書こうとしたら、それは葉書ではなくて、裏側に説明がびっしりと 書かれたピクチャーカードでした。

絵はがきはホテルで買うものですって・・・・。大失敗!友達にロシアの絵はがきを あげると言う約束を果たせずしまいでした。切手はバレリーナが書かれてあり、愛らしかったのに・・・・。





5月26日 ピョートル夏の離宮・・下の公園


「ロシア芸術の真珠」と言われるこの公園は、彫像と噴水とで、まるで野外の舞台芸術を 見るようです。

フィンランド湾を見下ろす大宮殿。下の公園から見上げる壮大な宮殿。帝政ロシア時代の 権勢を誇ってあまりあるものがあります。

こうしてまわって見ますと、日本の美はやはり、侘び寂びに あるのでしょうか。慎ましい美を好む自分を発見しています。

目を驚かす過度な装飾の中では落ち着かない 様です。

シンプルな中で、心やすらぐのは国民性なのだろうと、それに気がついただけでも 「マァイイカ」 と言うところです。

  プーシキンの像


サンクトペテルブルグのみならず、欧羅巴の国々には、このような国民の敬慕を受けている 人々の像が 彼方此方に建っています。この像は特に雰囲気があるのでお見せしました。


宮殿の観光を続けて、圧倒され、疲れました。ここでロシアの誇る詩人の プーシキンが詩想を練っている像で、一休みします。プーシキンはロシア近代文学最大の国民的詩人。 貴族の生まれでしたが、学生時代に革命への希求をうたい追放されたりした人です。のち、皇帝の監視下に 置かれて、その最期は妻をめぐるスキャンダルでの決闘だとか。それは皇帝の陰謀によるなどと言う話も あります。

作品は「ルスランとリュドミーラ」「エフゲーニー・オネーギン」「ボリス・ゴドノフ」など (私は読んではいませんが名前だけは知っている)があります。作曲家グリンカ(オペラ「ルスランと リュドミーラ」を初演し、ロシア近代音楽の基礎をうち立てた)などとも深い交流がありました。



5月27日 サンクトペテルブルグ出港

晴天に恵まれたサンクトペテルブルグの二日間。出港は深夜12時です。
五月の末ですので、まだ何となく明るいような感じがします。今日の日の出は午前5時2分。 日没は22時52分でした。

この明かりをともしたのがネバ川の一番海に近いシュミッツ橋、 もう一本見える橋の向う側にエルミタージュ美術館があるのです。
はるばるとロシアに来たと言う感慨。 ここが欧羅巴に向ってひらいたたった一つの窓であったと言う事実は何か悲しみをさそうものがあります。

ピョートル大帝が貴族の妻と別れて、美人でも貴族でもなく、ただただボルシチの作り方が上手かったのに ひかれて強引に田舎娘?と結婚したとかを聞くと、料理に自信のない私は悪妻かなと反省しきり・・・。 でも、わが夫はピョートル大帝ではないから安心です。



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