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4月16日 |
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テレビニュースで4月15日パリのノートルダム寺院の火災が報じられていた。 刻一刻燃え上がる火。崩れ落ちる塔などが映し出された。 朝食はブフェスタイル。乗船客にノートルダム寺院の火災の話をすると,驚いている。 何もすることの無い私と違ってテレビなんか見ないのかもしれない。 |
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大阪着。午前8時だった。 目の前に大きな大観覧車のある 海遊館があった。 |
まずはい大凡の人がゆく大阪城。そこまでパブリック交通を使うと言う夫婦と娘が一緒に行こうと言ってくれたので大阪城前まで行き、そこで別れてタクシーに乗る。昨日の東照宮参拝で歩くのが大変だと言うことに気がついたからで、老人になっていた。 |
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大阪天満宮では孫達のために学業お守りをいただき丁寧に拝みました。 |
ドライバーにまず 四天王寺に連れて行かれました。如法輪をまわして境内へはいり、五重の塔の均斉の取れた美しさに感動していると,「いいでしょう」と高齢とおぼしき女性が声をかけて来てくれました。 「私は毎月16日お詣りに来るのです。」といいます。 私にはそんな信仰心がありませんから申し訳ありません。 この五重塔は539年に創建され、その後何度もの落雷、火災よって焼失したのですが、 再興され、再興され、戦争の時には大阪大空襲で焼失した母再興して969年に現在のものになった。 なんと 八代目なのだそうです。 |
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つづいて四天王寺です。 四天王寺に連れて行かれました。 如法輪をまわして境内へはいり、 五重の塔の均斉の取れた美しさに 感動していると, 「いいでしょう」と高齢の女性が 声をかけて来てくれました。 「私は毎月16日お詣りに来るのです。」 と、いいました。 私にはそんな信仰心が ありませんから申し訳ありません。 この五重塔は539年に創建され、 その後何度もの落雷、 火災よって焼失したのですが、 興され、再興され 、戦争の時には大阪大空襲で 焼失したのだそうです。 それをまた、再興して現在のものになった。 なんと 八代目なのだそうです。 |
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中之島公会堂 |
結婚した当初、この中之島の公会堂で 開かれる学会へ 行くという夫についてきたことを 思い出します。六十年以上も前の話です。 あの時は中之島公会堂と呼ばれて いたような気がします。 公会堂建設で。外観、内装なども、 当時からの意匠が素晴らしく、 日本の近代建築として 歴史上まことに重要として、 2002年に国の重要文化財になりました。 その後、老朽化が進んでのを手当てしたのだ そうですが、外観の重厚な雰囲気は あの当時と変わりませんでした。 |
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船場の雰囲気は昔と全く変わり、 船場ビルディングがスッキリとに驚きました。 昔は乱雑みたいだけれど、商人の街と言う感じがあったような気がしました。 通天閣のあたりもすっかりビルが建ってしまって 60年ぶりの大阪は異界でした。 国立文楽劇場が立派でした。 |
通天閣 |
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道頓堀も岸辺に遊歩道がせいびされたりしていて、少し雰囲気が変わったけれども 水の汚れはしかたのないところだろうとおもいながらみました、 是でもキレイになったのだとドライバーはいいました。 |
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大阪の台所だと言う黒門市場を見たいと思って行きましたら、なんとここが日本かと思うほどに 、朝鮮人や中国人がもの凄い大声で話し合っているのに度肝を抜かれました。見てまわる気に ならず、買い物が趣味でもありませんから、早々に逃れました。 しきりに大阪の都計画を話しするドライバーが自慢するアバノハルカスは遠望するだけで結構でした。 |
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ドライバーのお薦めの店で軽くおそばの食事をして 少し遠いけれどとドライバーが言いましたが 住吉大社へ向かいました。 |
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日本人なんですね。大阪の雑踏を逃れて住吉大社に来てほっとしました。 [一番始めは一宮] と言う昔の子供の歌を思いだしましたが、ここが摂津国の一宮なのですね。 、 神殿に詣るには鳥居をくぐり、赤い太鼓橋を渡らなければ駄目です。 ドライバーの説明を聞いてこの美しい太鼓橋をわたりました。 大変に渡りにくい急な太鼓橋でした。 帰りは別の通りを来て太鼓橋を写真に撮りました。 若い人は良いでしょうが、九〇歳近いものにとっては難儀する参拝。 鎮座するのは神功皇后。18代天皇(仲哀天皇)の皇后。 静かな国宝建築の神殿が四殿あり、どれも国宝建築物です。 お祭りはすごいだろうと想像しました。 |
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少し疲れて帰船。 夕食を食べて後は寝るだけ・・・。 出港は八時。 |
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