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  タイトル1

ウエステルダムクルーズに参加。
初めての外国船。一人参加。冒険 。



日本船では外国航路も
フィリピンのメイドでしたが、この船は
インドネシアンが殆どでした。
インドネシア語は全く知らない私。
「テレマカシ(有り難う)しか知りませんから、
他はブロークンイングリッシュで・・・・。と
言う事です。

 
2019年4月14日

二千人くらいの乗客の中に、日本人は百二十人だそうです。
横浜の外国船の波止場での乗船手続き、東京に住んでいる孫が書き込む書類いろいろな手続きを助けにきてくれて、助かりました。

一緒にお昼を食べようねと約束していたのに、出国手続きみたいなことが必要で、お茶も飲めずに別れました

キャビンには{WHEN& WHERE}と言う今日のスケジュールが届いていました。今日は英語での案内。

新しく乗船した日本人乗客には、明日からは日本語での
スケジュール・パンフレットが入ると言う説明がありました。

避難の説明などがあり〈これは日本船と同じ)午後7時すんなりと出港です。
とにかく大きくて私の部屋からレストランまでかなり歩かなければなりません。
夕食は日本人だけ八人のテーブルにしてくれてありました。


目が覚めたら窓の外は玲瓏の冨士
右舷の船室からは玲瓏の冨士の朝明けだったので、感激。

朝雲をたなびかせて素晴らしかったのですが、カメラのカードを傷めてしまって
残せませんでした。この世で一度の一番のチャンスを逃してしまいました。




 
 
清水港8時入港。エクスカーションには参加せず、自由行動。タクシーを使う。
船客の中の親子三人と同行して東照宮へ行く。
途中の山腹に、茶畑。新しいお茶の葉が出始めていた柔らかなみどりの上に
見えた冨士もまた素晴らしかったのですが・・・。これも駄目。

久能山東照宮はケーブルカーでのぼり、その後石段を登るのですが、
段差がまちまちでのぼりにくいこと・・・・・・。
奥の院まではのぼらすに引き返しました。
信仰しているわけではありませんから罰はあたらないでしょう。
  
4月4日   タイトル4



冨士の写真はこれ一枚だけ
 


天の羽衣で有名な三保の松原に行き
衣掛けの松の碑のある松林。
日が眩しく碑の字が見えない。

能の「羽衣」の一節
愛鷹山や不尽の高嶺霞に紛れて・・・・・。

を思う景色でした。

4月5日   タイトル5





 「
タクシードライバーのお薦めで清水の次郎長の家をみにゆきました。

豪奢とは言えない古民家です。日本人のわれわれは何となく興味があるから、見に来るって言うのは納得できるのですが、ウエステルダムの外国人達も多く訪ねてきていました。

「清水の次郎長をどんな風に説明するのかと、ついて来たガイドの女性に聞いてみました。

『ジャパニーズアルカポネ』と説明するといいました。

外人には解りやすいかもしれませんが、チョット違いますね。辞書には侠客は「プロフェッショナルギャンブラーと書かれていますけれども・・・・・

帰って来てから、静岡出身の友達に笑いながら話したら、清水の次郎長は、カポネのようなギャングの首領なんかではない。いろいろと社会福祉事業をしたり、地方振興に尽くして尊敬されて居るのだよ。

「そのガイドは駄目だなぁ.日本を知らない。」と、言いました。
こんな解説は難しいですね。

4月6日   タイトル6

埠頭の傍のレストラン街でお寿司を食べて船に戻ることにしました。
清水は鮪の漁港でお魚が美味と聞いていました。
埠頭のビルの一階は殆どがお寿司屋。鮨屋丁と言う名前があるとか言いました。

最終乗船が1時30分となっているので、帰船。出港の時には 見送りの人が多かったです。

 
 
ドレスコードはフォーマルとなっていましたので、ちょっと気構えましたが、、
外国人だからと言ってものすごいことはなしで、気楽なもの・・・。
日本人だけの席を作ってくれてあるので
日本語で何を話したかは忘れるような他愛もない話をして食事。
すべてが大ぶりなので少量にして・・・。とオーダーしたが駄目!

横浜あたりの医師ご夫婦。
娘二人を連れた女性などで、瀬戸内地方に住むご夫婦などだった。

 

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