茫茫漫遊記 スペイン紀行

マドリッド・
トレド
マドリッド
  
  コルドバ
  
セビリア グラナダ
 タラコナ  バルセロナ
 9月19日 

「アルハンブラ」とはアラビア語で“赤い砦”を意味し建物全体はスペイン特有の風土に合った茶色の石材が使われ、床には見事なタイルを敷き、大きな大理石を敷き、天井部分や壁面はイスラム様式の幾何学文様や、アラビア装飾文字で張りつめ、ため息が出るばかりです。

そのアルハンブラ宮殿に入ろうとすると、ます、このカルロス5世宮殿になります。
この宮殿はイスラムのものではありません。

アルハンブラ宮殿は中世にイスラム教徒によって建設された建物のなかで、ただ一つ手つかずに現存する宮殿ですが、レコンキスタノのち、カルロス5世が強いキリスト教の象徴として
建てたものですが、完成を見ていないものだそうです。

壮大な回廊に囲まれたところは、反響が大きくなるようになっていて、独特でした。

宮殿の一番最初の部屋には噴泉があり、まわりは、畳3畳ほどもある大理石が敷き詰めてありました。


カルロス5世宮殿




一枚の大理石で出来た噴泉と大理石の敷石

大きさを人間の足と比べて下さい。

ライオンの中庭のファサード


修理中のライオンの噴水


アラジャネスの中庭



ライオンの中庭は修理中と言うことが解っていましたので、残念でしたが、修理中の状態を見るのも、千載一遇のチャンスと前向きに捉えることにしました、ライオンがいたところに、人間がいて、それも面白いと言うことに・・・・。

それにしてもこの回廊とファサードのアラバスター模様には感動します。アラーをたたえ、アラーを第一と信じるイスラムの言葉が、連続して美しい装飾文字で壁を飾っているのです。

このアジャラスタの中庭の水は絶えることなく注ぎ込まれ、対面のコマレスの塔をうつしている写真は、よく見られ、よく知られた景観だと思います。

     

シエラ・ネバダ山脈から流れ出る清冽な水とアラバスター(雪花石膏)のイスラム独特の紋様の繰り返しを貼り付けた壁面はスゴイとしか言えない細やかな装飾です。

アラビア語の装飾文字は殆どが「アラー」を賛美するものだそうです。私には区別がつきませんが、コーランの詩句、またはそれを賛美する詩句もあるのだそうです。こうして美しく残っているイスラムの宮殿は、西欧のキリスト強国の宮殿とは全く印象が違うので感動的です。
苦労しても来てよかったと思います。出来ればまた来て、ゆっくりと散策したい・・・・。

宮殿の敷地の中にある宮殿ホテルは非常に高価だそうですが、「この次は絶対泊
まってやる」と思っています。予約が一年も前から満員ですってヨ。


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私のスペインへの憧憬の始まりは、このアルハンブラ宮殿でした。
ワシントン・アーヴィングの「アルハンブラ物語(1832年)」を読み、彼が三年間滞在したこの宮殿を見たいという思いでした。アーヴィングの滞在した部屋には、その旨を書いた陶板がかかっていました。そこは 美女リンダラーハや イザベル王妃の御寝の部屋だったそうです。今はそんな雰囲気はなく、意外にさっぱりした板敷きでした。私が夢見て来た宮殿の一室とは違っていました。そして、そこから見えたのがこの「リンダラーハの庭」でした。

リンダラーハの中庭と陶板


「麗人のかつて在った悦びの庭は、いまも花が咲き誇り、かつて、彼女がその艶姿を映した噴泉は
水面を水晶のように研ぎ澄まして、静かにあふれつづけている。かつて純白だった雪花石膏は、今
はもはや見る影もなく黒ずみ、下の水受けあたりには雑草がところせましと繁茂して、トカゲの巣に
成り果ててしまった。しかし、こうした荒廃が、逆に、この由緒ある場所の興趣をいやがうえにもかき
立て、その無常は人間とその全営為の逃れ難い宿命を物語ってやまないのだ。」
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と、言うのがアーヴィングの文章でした。

彼が滞在してから100年あまり経て、世界遺産になっているこのアルハンブラ宮殿の「リンダラーハ
の庭」はすっかり整えられて美しい花が咲き、緑は刈り込まれて、もはやトカゲのすみかではありま
せんでした。私はその荒れ果てた庭の佇まいの方に魅力を感じるのですが・・・・。



アルバイシンの丘とアルハンブラ宮殿の丘の麓の住宅地です。アービングの滞在した頃はこれほどの繁華はなかったでしょうが、滞在しているあいだ、この景色を見て、人々の生活をいろいろと面白く、また、悲しく、切なく想像していました。いまもジプシーが住んでいるところがあるようで、そぞろ想像をかき立てられます。




アルハンブラの後宮には沢山の女性達がいましたが、それも18歳までで、そのあとは別の館へ移されて過ごしたのだとガイドがいいました。これは見張りの塔です。

この塔を過ぎて、宮殿の奥の山を登っていくと、夏の宮殿・ヘネラリフェ宮殿があり、その庭園がまことに素晴らしいものでした。

刈り込まれた美しい糸杉の並木。アービングの滞在したときにはこんなに手入れはされていなかったようです。

石榴の木がそこここにあって実をつけていました、泰山木も実をつけて・・・・。竹、そして巨大な鶏頭。


バラは季節ではなかったので、いくつか花をつけていましたが、ここを宮廷の美女達がそぞろ歩いていたのだろうという想像がふくらみました。

ポインターで下から糸杉の庭が出ます

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石榴と下は泰山木です。

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アービングの文章を引用します。
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この離宮はたわわに実る果実、咲き乱れる花々、馨しい大気、緑したたる四阿と天人花の生垣、涼風とほとばしる噴泉、と南国好みのエピキュリアンを喜ばせるすべての条件を備えている。
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胡桃の木には栗鼠がちょうど胡桃をかかえて食べようとしていました。カワイイ円らな目がきろきらと光っています。逃げようともしません。

この庭園にはイスラム時代から生を受けついできた動物や虫たちが住み続けて、支配者達の変遷などとは関わらずに楽園の生活をしてきたのでしょう。







ヘネラリフェ宮殿からのぞんでみるアルハンブラ宮殿です。この素晴らしい眺望を楽しんだ人々のことを想像しながら道を辿ります。これが私の見る最後のアルハンブラ宮殿なのでしょう。この次はゆっくりとそぞろ歩きを楽しめたら、もうそれで良いと言う気分でお別れです。



アルハンブラからバレンシアまで、何と550キロの行程をバスで移動します。バレンシアのホテルには午後8時過ぎにつきました。

途中、3度ばかり休憩をとりましたが、何もない風景です。オレンジ、オリーブ、アーモンド、などなどの美しく整えて栽培されている風景と、黄土色の山がアルだけです。バレンシアに近づくと海岸に沿いましたが、退屈なバス移動でした。
これもツアーですから仕方がありませんね。

ついたら、バレンシアが本場だという「パエリア」が供されました。これは美味でした。

そしてバレンシアオレンジのフレッシュジュース。
景色は何も見ませんでした。カワイソウ・・・。

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