茫漫遊記 スペイン紀行

マドリッド・
トレド
マドリッド
  
  コルドバ
  
セビリア グラナダ
 タラコナ  バルセロナ
9月18日


 

セビリアは1243年までイスラムの支配を受けていました。街路樹はアカシアと鈴掛の木、キョウチクトウが暑苦しく咲き盛っています。人口は80万で、大きな都会です。

      

朝一番に スペイン広場というところに行きました。ここは1929年、セビリアで開かれたイベロ・アメリカ博覧会の時のスペイン館だそうです。ここは市と軍関係が事務所として使っていると言う話でしたが、静かな佇まいです。早朝だったということもあったのですが・・・・・。

扇形の大きな広場を抱き囲むように扇形に煉瓦色の建物が建っています。堀にはスペインを構成していた四つの王国を象徴すると言うのですが、白に青の装飾タイルの欄干がつけられた橋がかけられています。

煉瓦色の建物も美しい装飾タイルの壁面、それにモザイクの床面は本当にこれはどのようにして造ったのかしらと思うくらいです。広場に面してテラスと回廊が続きき、テラスに登って行けますので、そこから写真を撮りました。

この博覧会の時に建てられた各国のパビリオンが今でも使われていて、スペインの中に異国に雰囲気の建物が散在していました。


 

ベラスケスの弟子であるムリーリョの名前のついた公園を抜けると、コロンブスの大陸発見記念塔が立つています。コロンブスはスペイン人ではなかったのですが、イザベラ女王の援助で大陸発見をしたと言うことで、スペイン誇りなのです。

ユダヤ人居住区を抜けます。他の街でもそうでしたが、ユダヤ人居住区と言う区別が見られるのは歴史的にも興味があります。

キスストリートと愛称される本当に細い道を通り抜けて歩きますと、そんな細道の中にある小さな空き地のような所を囲んであみやげやが軒を連ねていました。

画家ムリーリョはスペインの誇る画家の一人。セルビアを出ることなく、最後は教会の壁画を描く足場から落ちて亡くなったのだそうです。彼の生家が記念館として保存されていました。


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            セビリアの大聖堂    
  


アメリカ発見記念塔



画家ムリーリョの家


   

1248年にキリスト教のレコンキスタにより、イスラムが追放された後、1403年になって、大聖堂として使われていたイスラムの大モスクがあったところにゴシックの大聖堂を建てたのでした。イスラムのモスクがあまりに巨大であり、取り壊しには「比類なき神聖な浪費」と言われるほどのものだったと言います。

ここにもモスク時代の清めに使われた「オレンジの中庭」が残されていますし、あのアーチを掲げた列柱の名残はないとしても、天井の装飾など、ところどころイスラム時代の紋様を見ることが出来るのでした。

ミナレットであった塔は大聖堂になったあとも鐘楼となって残り、ヒラルダの塔(風見の塔)と呼ばれています。

この塔に登ることができ、そこからセビリアの眺望を楽しめます。


ヒラルダの塔

    



主祭壇の右手に四人のがコロンブスの棺を担いでたっている像があります。かついでいる四人というのはやはり、スペインを構成する公国の数だと言うことで衣服に各国の紋章が掘られていました。写実的な彫像で、当時としては新しい表現であったでしょう。

主祭壇、唱歌壇の装飾は金色まばゆい。ここは西欧一だと言う話でしたが、あまりの大きさで写真に撮れる大きさではありませんでした。

ムリーリョの祭壇画が飾られてある一室がありました。

祭壇画の傑作ですが、ある時天使と話しているペテロの部分が切り取られて盗まれたそうです。さまざまな曲折を経て帰ってきた絵を修復して大事に飾ってありました。
その後はは近寄れないように柵があったとかですが、今では仰ぎ見ることができました。

グレコやベラスケスの感じは 無いが、心に入って来る構図で描かれていました。修復のあとが見えて痛ましく思いました。


大聖堂のパイプオルガン(木彫り)
この他に何基ももありました、


セビリアの王城・アルカサル

大聖堂の近くにありましたが、今回は門を見るだけで
素通りになります。
残念ですが、これは決まったツアーの旅程でした




新しいトラムが走る道路を横切り、少し先のレストランで野菜サラダとイカ墨のライスを食べました。イカは真っ黒の小さなヤリイカ。味は悪くはないが、少し気味が悪い。






闘牛士と闘牛場



闘牛のシーズンは3月の
バレンシアの火祭に始まり
10月に終わるそうです。
大きな街では原則的に
毎日曜日が開催日。
日没2時間前から開催
されるとか・・・・。





スペインと言えば闘牛を思い出し、あのカルメンの情熱的な場面を
思い出すのでした。少し大きい街には闘牛場があります。
日陰席、日向日陰席・最初は日が当たって後に日陰となる席。
日向席の分けられています。
「日陰の場所」は高いそうです。これは暑い国の話ですね。

白い町・ミハス

ミハス








セビリアからグラナダまで250キロのバス行程で、途中でこの小さな白い町・ミハスに立ち寄りました。スペインは暑さを凌ぐ為に、外壁を白く塗るのが普通です。ここは観光が主たる産業らしく、店しかないようにさえ思えます。人口は3万人弱。ジブラルタル海峡が望めます。目前がアフリカですね。

眼下に見下ろすマラガの町は西欧の有名な保養地であると共に、ピカソが生まれ育った所として知られているマラガです。マラガの町の高級別荘地は勿論プールつきです。そのプールが青くまぶしく光って見えました。マラガはヨーロッパに保養地で人口の75%は外国人だそうです。

結婚式があって、花嫁さんを囲んで歓声をあげているところにであいました。みんなに祝福されて幸せそう・・・・・。





ミハスの教会堂
山の上にも白い教会がありましたが、
これは岩山をくりぬいた
教会堂でした。

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