茫茫漫遊記 バルカン半島西部編

スロベニア スロベニア  クロアチア  クロアチア ボスニア
 ヘルチェゴ
     ブナ
 クロアチア モンテ
  ネグロ
 クロアチア  クロアチア




残念でしたが、ドブロブニクにホテルをとることが出来ず、バスで20分ばかりはなれた近郊のツァウタットというところにとまったのです。昨夜、ホテルに着く前に、ドブロブニクの夜景を望みました。

今朝も好天です。ツァウタットからドブロブニクに向かう途中で、市街が美しく撮れる場所で写真をとりました。帰宅して、図録などを見ると、丁度同じところから写した写真が多かったです。

堀に渡したはね橋を渡って門を入ります。
この街には700年代からの城壁が残っています。1200年には完全に城を囲んだそうです。城壁の厚さ、広いところは5,5メーター。高さは20メーターをこえる所もあり、四方を囲む門が4つ残り、堂々たる見はり塔があり、港が作られています。
山の上にはナポレオン時代に作られたと言う砦が残っていました。

画像にポインターを載せてください


   画像にポインターを載せてください

フランチェスコ会修道院の回廊と中庭
下から出るのは薬局


ここはヴェネチア、ハンガリーその他の支配下におかれましたが、「リベルタス・ガモット」自由平等をモットーとして自治権を守り通した都市国家です。オスマンの頃も特別な存在として支配される事なく、むしろ他国への窓口として独立的な立場を守り通すことが出来ました。ベネチアのような独裁制になる終身総督制を廃して、最長一ヶ月交替の総督を置き,福祉の観念が生まれ、千四百三十二年日には孤児院を造り、養老院を造り、千百二十六年には奴隷制度をも廃止したところです。千九百七十九年には世界遺産になりましたが、内戦の砲火にさらされ危機遺産になりました。いまでは修復が進み、砲火の後はあまり見られなくなっています。

ところでドブロブニクと言う言葉は樫の木から来ているんですってよ。昔はこのあたり樫の木があったのでしょうが、今は見られませんね。


ここのフランチェスコ会修道院は世界で三番目に古い創立のもの(現在も活動しているものでは最古)です。回廊の傍には世界一古い薬局があります。今は創立当時とは異なって位置も変わり新しくなってはいますが、営業を続けています。血圧計を買っている人がいました。その奥には最古の薬局が当時使用したさまざまな道具を展示をして見せていました。


教会の宝物の一つ

画像にポインターを載せてください

画像にポインターを載せてください
細い路地には生活がありました。
やめるように言われているのだそうですが、路地をまたいで洗濯物がひらめいています。

レストラン通りは路地に椅子とテーブルを並べてあって、その横を通り過ぎる狭さでした。時間がくるとここに人が座り、食事のサービスを受けるわけでしょうが、日本では考えられない食事場所です。でも楽しそうです。山腹に作られた街なので縦横の路地に階段があり、人の生活がありました。

ドブロブニクは、ヨーロッパの人々にとっても「行ってみたいところ」の一番に入っているところなのだそうですね。この前期高齢者のグループはとても元気で、丁度道路の石段に坐って記念写真を撮るところでした。私がカメラを向けると大喜びして、手を振ったりして・・・。嬉しかったです。

教会を覗いたりした後、昔日も港として使われていた船着き場から定期船(目前の島に渡る)の往復にのって、ドブロブニクの砦の様子を海から望んでみました。

画像にポインターを載せてください
         
画像にポインターを載せてください


城壁を回るには一時間半くらいかかるとのことでした。ごごから、モンテネグロのコトルにゆくことになっているので、散策をして過ごしました。師の中心の時計塔と鐘楼です。広場で、ブルーベリージュースを飲んで暫く休んで散策しました。

大通りを歩いていたら、民族衣装をつけたモデル2人と写真を撮っていた人がいましたので、横からちょっとパチリさせてもらいました。

クロアチアが発祥地であるネクタイを四本、選んで購入しました。結構高価ですが、ユーロでは支払えませんでした。「クーナかカード」でと素っ気なく言われました。クロアチア通貨はクーナですから、少々勝手が悪いです。

記念にドブロブニクの地方の衣装をつけた人形を一体購入しました。あとはクロアチアのバッチを10個、これはチビたちの帽子につけてやるものです。

昼は近くのレストランでロブスター半身のグラタンでしたkけれども、大して美味とは言えませんでした。

[上へ戻る][目次ページへ]