茫茫漫遊記 バルカン半島西部編

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トロギール(世界遺産)






紀元前4世紀からギリシャ植民地という歴史のあるトロギールは街全体が世界遺産の街です。

北門から入り南門に向かいます。聖ドブロ大聖堂は1200年代の建立ですばらしい彫刻の扉があります。アダムとイブがライオンの上に立っていました。この街はロマネスク時代から長い年月の間に少しずつ建築様式が変化した上に、共産主義の洗礼も受けているところですので、各種様式が混沌と混在しています。

チトーの時代に削り取られてしまったものもありました。


聖ドブロ教会に対面して1400年代からの時を今も刻み続けている聖セバスチャン時計塔があります。

その横には古い市庁舎があり、いまも市庁舎となっています。時計塔の隣は裁判所だったところ、古いレリーフが刻まれています。

1000年代からのベネディクト修道院は今も修道院として使われています。本当に継続は力なりで、驚かされることばかりでした。



















  

聖ニコラス教会つづきの南門です。南門を出ると海に向かいます。カルメンレンゴの塔が昔のまま残っています。13世紀末、オスマンへの防備のために作られた総督の塔ですが、城の形態をとっているように立派なものでした。ここから街を取り囲むように城壁が続いているのです。
海からの風はさわやかでからりとしていて、心地よかったです。エアコンデッショナーはどこでも使われている気配はありません。窓を大きく開け放てば、このあたりでは気持ちがいいことでしょうから。


カルメンレンゴの塔から城壁がサンマルコ塔までつづいていたのだそうですが、今は底に市民のサッカー場が作られていました。流石サッカーの国です。

第二次大戦でドイツからの砲撃で破壊されて鐘楼だけが残っている街の中の教会などがその城壁にかこまれた地域に残されていました。
南門には「ユネスコ」と言う灯りの設備がありました。
トロギールは縦500メートル。横200メートルの出島の様な形になっていて、運河で切りはなされているのです。水路で人工的に切り取られたものでした。

 スプリット(世界遺産) 
アドリア海沿岸で、最大のローマ遺跡です。

南北118メートル東西115メートルの方形をしています。

この近郊の出身で軍人から皇帝にまでなったディオクレティアヌス帝(生まれたのは245年、死去は313年)が隠居所として、296年から305年までかかって造営した壮大な規模の宮殿遺跡です。

当時はその城壁は直接海に向かっていて、海から船で入るように作られていたとありますが、今日では道が造られていて、その様子は想像するだけです。

ディオクレティアヌス帝は、ローマの4分割統治制をすすめ、政情安定ののち引退した皇帝でした。その在位は284年から305年ですから隠居して過ごしたのは8年間ということになります。隠居所ではなく、隠居城施設でした。


街には当時造られていまも使っているという水道橋が残っていました。





        








        

ローマの隆盛の時代が過ぎて、寂れたこの宮殿に、幾多の戦乱の時代が流れました。戦乱から逃れて来た人々が、宮殿の中に住みつくようになり、荒廃して行きました。

今ではキリスト教を弾圧したことで知られる皇帝家族の廟はキリスト教会となって使われ、塔が建てられ、鐘楼となっています。ジュピター神殿は教会の洗礼所とされているのだそうです。何とも皮肉な話です。

この城塞には、海から直接はいることが出来る構造で、金銀銅鉄と言う四方の門があり、見張り台があり、その城塞の門があり、城壁の中は、縦横に道路が造られ衛兵の地域、種々の工房、などがあり沢山の人々の住む生活の場・街となっていたのでした。

銅の門と言われるところから入ると長い年月の堆積物があるので、まだまだ発掘の途上なのでした。

エジプトをも支配していたローマの力を思わせるスフインクスが飾られてあったりして驚異の施設でした。当時のもので保存状態のいいものは博物館に移されているという話でした。

メインホールとおぼしきところで、歌を歌いCDを売っていた一枚購入しました。歌は言葉がスラブ系なので、雰囲気がロシアと似ていました。
修復中だった金の門から出て、市場を一寸覗いてバスに乗り、近くの海辺のレストランで昼食でした。海では泳いでいる人々がいました。海水はとてもきれいですが、泳いでいるところは浅瀬の砂地のようでした。

就職のメインがマグロ。塩とバターで焼いただけのものでしたが、美味しかったです。




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農業地帯。ネレトヴァ川の河口近くのデルタ地帯は農業が盛んであることが伺える緑に充ちていました。山腹はほとんどオリーブの木が植えられており、青い小さな実がついていましたた。石榴の木も多く見られ、ブーゲンビリアの赤紫の木が、大木となって窓辺を覆うように植えられて咲きさかっていました。


静かな海に牡蛎の大規模な養殖場がありました。チトーが大好きだったといいます。ヨーロッパ人は生の海産物を食べる習慣がなかったにも関わらす、生牡蠣だけはたべるのですね。

いよいよクロアチアの飛び地になっているブロブニクに向かうことになります。ドライブ5時間ということで、ドブロブニクに着くのは夜になります。

石灰岩の産地で有名なブラチ島が望めます。白くて美しく良質なのだといいます。その島だけでなく、ドライブの道筋の山々は、ほとんどが岩山のようですが、珍しい風景です。ところどころに、城塞の名残のようなものが建って残っています。
海に浮かぶ島々の様子は溜息が出る程の美しい景観です。海とは思われない平らな鏡の水面でした。

島々との交通はもちろん船なのでしょうが、荒れることは考えられないような穏やかさです。

マルコポーロの生まれたと伝えられる島もある。

アドリア海岸の沢山の島々は波穏やかなアドリア海をますます穏やかにしているのでしょう。スプリットから多くの交通のための船が出ているそうですが、クロアチアではヨットを持たないとセレブリティであると言えないのだそうです。



アドリア海の夕映え



少しとびますが、ドブロブニクに近くなった頃、海に日がしずみました。この穏やかなアドリア海の
夕映えを一枚ここでお見せしたいと思って・・・・、挿入しました。

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