茫茫漫遊記・バルカン半島西部編
スロベニア  スロベニア  クロアチア  クロアチア ボスニア
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 クロアチア モンテネグロ  クロアチア  クロアチア
  オバティア

スロベニアからクロアチアへの国境をこえます。
国境を越えると言っても簡単なもので。今回は女性管制官がバスに入ってきて、入国の印を捺してくれました。クロアチアは九州の1,5倍程度の大きさの国。海岸線に沿って細長い。70%のカソリック教徒・クロアチアでキリル文字を使う、正教徒のセルビア人が12% 。人口は450万程度。クロアチアとはスラブ語の山の民の意だと聞きました。ローマ、オーストリア、ハンガリーなどの支配をうけ、オスマンと西欧の緩衝地帯となった関係で、正教徒とイスラムが共存していると言うこともあり、キリスト教国のスロベニアとの関係には、宗教的な問題も内蔵していて、政治の安定には困難が多いそうです。                              
クロアチアの通貨の単位ははクーナでした。




今夜の宿はクロアチアの海岸保養地のオバテーア。美しい保養地らしいホテルアンバッサダーでした。ついたのが3時半だったので街に散歩に出てみます。ホテルも家々もマイアミビーチを思い出させるパステルカラーの建物。海に沿うメインストレートに建ち並んでいます。ホテルにはビーチもプールもありました。折角だからと、ホテルのバーでお茶とケーキを食べました。大きいだけで大味でした。ティタイムもピアノの生演奏。ちょっとセレブな気分でした。

   画像にポインターをのせてみて下さい。


素敵なレストランでディナーと期待していましたが、ツアー客にはウェイターがつくわけはありません。ブッフェスタイルの夕食でした。でも、小さな生バンドが演奏して聞かせてくれて、ちょっといい気分になりました。

オバテーアはハプスブルグの支配を受けていた頃から、貴族の保養地で、沢山のビラが建っている夜は対岸の無尽の灯りが瞬き、布を敷いたような海に反射していた

   

布を敷いたような朝凪の海に陽が昇り、鳥の声が透って来ます。保養地の雰囲気が味わえます。七時過ぎ、新聞売り場で切手を買い、葉書一枚出しました。集合時間で出ようとしたら、部屋が9階なのにエレベーターが来なかったのです。時間ぎりぎりなので歩いて集合場所に行くとみなすでにバスに乗っていました。こんなよいホテルでもこんなことがあるんですね。

話は変わりますが、バルカンの国々の国旗・赤白青の三色は反スラブ色なのだそうだ。バルカンとは土耳古語で山を意味しているとのことです。

石灰岩の断崖の様な海岸線を南下します。

クロアチアの海岸線は5839キロメートル(島はそのうち4050キロメートル)如何に島が多いかがわかります。(1185かそれ以上あるとのことです)気候は地中海気候なのだそうです。
1831メートルが最高峰。すべて石灰岩の固まりの山です。見る限り、一木一草もない島山で、ほとんど森林は見られません。緑があってもこんな山では小さな木々があるだけです。ダルマチアと言われるこの地方はシルクロードの関連で栄えました。マルコポーロの生まれたと言う島があります。


   ザダール
    
聖ドナト教会



海に突き出た形の城塞都市ザダールにつきました。世界遺産ではありませんが、ここからはローマのフォーロの遺跡が発掘されていました。ローマ遺跡の円柱などを横倒しにして土台とした不思議な形のドナト教会があります。日本で言えば平安時代のものです。初期ビザンチン様式にはじまる教会建築と説明がありましたが
不勉強な私にはよくわかりません。この他にも中世の建物が沢山残っています。鎌倉時代にあたる頃建立の聖スタシア教会はがキリスト教迫害のおり、火あぶりの処刑を受けて、後に聖人とされたローマの貴族出身の女性・アナスタシアが祀られた教会です。
ここで買った図録には、この教会の前はとてもきれいに写っていたのですが、今日は何といくつもの露店がでていて、美しい写真を撮ることは出来ませんでした。

昼食はイカ。お米の入った干しだらののスープ。小さなイカの照り焼き風。柔らかくて美味でしたけれど、大量でもてあまします。

海岸の岸壁には、先年出来たと言う「海のパイプオルガン」が岸壁に設置されていました。海の波が寄せるとパイプが鳴る仕組みで、不思議な音です。


  
            聖スタシア教会


街に入る門です。
 シベニク

クルカ川を渡り世界遺産の聖ヤコブ教会のあるシベニクに入りました。十一世紀オスマン襲撃への防護城塞となっていた街です。仰ぎ見ると山の上には城塞が残っているのが見えました。

城壁の残存しているのを利用して、その上に建設されている図書館などがあり、 ほんとうに古い街でした。
つるつるになった石畳の細い迷路のような道が山腹に沿って造られており、今も人々はそこで暮らしているのでした

この城壁で囲まれた中に、ゴシックから、ルネサンス様式からの建物が存在して何とも言えないハーモニーを醸し出しています。27の教会(その内に正教会が3)があるのです。

教会も修道院も、街並の建物のなかに混然としてあるのです。その中の女子修道院を訪ねて見ました。礼拝堂は写真が禁止、修道女から、礼拝堂に祀られている「りんごを持って幼子イエスを抱くマリア像」の絵はがきを一枚購入しました。ガイドの話では、修道院も今では維持が困難になって、こうしていろいろなものを売っていると言うことでした。葉書の代金といささかの献金をして、小さなドアを出ました。




24時間時計塔です。

   話は別ですが、この街で最も古い教会だったの     は小さな細い窓 しかない建物でした。今は教会    としてでなく、ギャラリーとして使われているのだ   とか、歴史を思わされます





 すり減った石畳の登ったりくだったりの坂道の道路です。
    画像にポインターをのせて下さい。
  
   
      
              聖ヤコブ大聖堂(世界遺産)


次いで16世紀前半に完成した世界遺産の聖ヤコブ大聖堂です。この街ではこの聖堂一つだけが世界遺産なのです。街並みの物凄い石畳の迷路は世界遺産になっていないことは驚きです。

クロアチアのグラチ島から産出された石灰岩だけで出来ているということです。真っ白です。アメリカのホワイトハウスも、ここの石で出来ているのだと聞きました。それだけ良質の石灰岩なんですね。内戦で被害をうけましたが、丁寧に修復してあります。洗礼盤が有名なのですが、丁度工事中で見られませんでした。屋上には大天使ガブリエルが立っています。正面入り口、側面のレリーフなどすばらしいものです。


他にもさまざまな人の顔の彫刻が堂をかざっていました。それらは当時生きた人々の顔でしょうといいましたが、中には子供の顔もありましたので、有名人というのではないのでしょう。
 
この聖堂の前は広場、対面して市庁舎だったところがあります。
 
驚いたのはこの広場から今通ってきた方向を望んだら、山火事で、太陽を遮るほどの大きな黒煙があがっていたことでした。消防車がかけつけたり、ヘリコプターが飛んだりしているのが見えました。もしかして、もうちょっと通る時間が遅れたら、道が通れなくなったかもしれないと思ったことでした。

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