バルカン半島西部茫茫漫遊記・バルカン半島西部編
 
 スロベニア

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シーザーが峠こえをしたというユリウスアルプスの山々が連なるのを見ながらリュブリアーナに向かいます。スロベニアは四国程度の大きさ・南スラブ語族。ヨーロッパ・ハプスブルグ支配を受けたり、オスマンの支配を受けたりしながら今日に至っています。
リュブリアーナはスロベニアの首都。街は川を隔てて旧市街と新市街になっています。ホテルは新市街の中心に近いところにありました。バスから降りて散策しながら見て歩くことにしました。旧市街の通りは石畳で、古い建物のなかの通路をくぐるように通りぬけますと、市庁舎のある広場になります。今も市庁舎として使われているのだそうですが、まことに 古色蒼然。そんな市庁舎前には、ローマ・ラボーナ広場の彫刻にならったとされるフランチェスコ・ロバの三本の川をあらわす噴水の彫刻が置かれてあります。市庁舎は300年前のものが基調になっていて、パテオというのでしょうか、中庭の壁面にスグラフティ様式の装飾彫刻が施されていました。双頭の鷲からリュブリアーナの守護をあらわすドラゴンが城の塔の上にいる(市の旗を飾っている)などが描かれています。これにも支配を受けた歴史がみられます。奥の壁面にはリュブリアーナの歴史をあらわす三枚の絵(ローマが街の建設をはじめたこと・オスマンの侵略と支配・農民の決起と民族の独立)が飾ってありました。このまま今でも市庁舎として使われ続けていて、EUの旗、スロベニアの国旗と市の旗が掲げられていました。

300年前からの市庁舎です。今も使われている。




広場へつながる通路もこんな状態。
石畳も昔のまま




この写真は朝です。街からあおぐ形で城があります。
朝は通勤の人でしょうか、沢山の人が行き来します。
ローラースケートで出勤の人も何人か見かけました。



次いでリュブリアーナ城。エレベーターに乗ってのぼりその後螺旋階段をのぼって屋上へでますと広場になっていて展望テラスから見ると市街地が一望出来ます。新市街地でした。いろいろな建物があります。川の辺りにある丈の低い建物はおそらくふるいもでしょ。茶色の煉瓦葺きが美しく並んで見えました。市場のあるあたりも俯瞰出来ます。
城の中の教会は小さかったですが、壁面のフレスコ画などは復元されていました。聖母子像は現代彫刻でした。

    








城から見えた市場はすでに終わりに近く、少しだけ果物や野菜を売っていました。
セントニコラス大聖堂の傍に花市場でまだ開いていたけれど、店ではなにかトラブルがあったらしく、大声で口げんかをしています。なんだか怖くて通り過ぎました。
セントニコラス大聖堂。入り口のドアは十一年前に出来た銅の扉で、新形式の彫刻で、まだ新しいと言えますが、出入りの人の手の触れる家族の像の頭はピカピカと光っていました。内陣に入ると素晴らしい装飾に圧倒されます。パイプオルガンも素敵でした。

聖堂からでると花屋達の口げんかはまだ治まっていませんでした。



三本橋は交通量が多くなり、車の通る橋に沿って歩道の橋を二本付け足したものだと言いいますが、日本のような鉄骨造りではなく石造りで、デザインが美しい。またその橋に沿っている石の階段は公衆便所に続くものでした。



ついこの間から、観光名所となってしまったこの橋は車が通れないことになったそうです。近くにいろいろとお土産品をうる出店がならんでいたが、格別買いたくなるものではない。

ドラゴン橋は三本橋と並んで有名な橋です。100年くらい前のものでまだ新しいと言いました。100年でも新しいのです。
石の美しい橋である



 ドラゴンはスロベニアを守るもので親しまれています。
 
古い建物はデパートです。今でもそのまま営業しているのだそうです。



スロベニア人の誇るの詩人プレシェーレン
の像です。





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スラブ人とはあまりものを言わない人という意味からきているそうです。スロベニアは95%までがキリスト教徒で、内戦の傷は少ないのだそうです。森林が多くその下は石灰岩の土地。ここに凄い鍾乳洞があると思えないようなところにボストイナ鍾乳洞はありました。

それは世界二番目に大きいもの(一番はアメリカ・カールスバット)だそうですが、世界遺産にはなっていません。。1023年に人が入ったと言う記録が残されていますが、調査は1818年になって行われ、1872年にはトロッコを敷設して奥まで入って見られるようにしたのだそうです。40年ほど前には、トロッコは複化かされて、すっかり観光地化されたのですね。周囲は緑の多い農家地帯で、牧草やトウモロコシ畑が続いています。そんな鍾乳洞があるなどと想像できない雰囲気でした。


トロッコに乗る人はぞろぞろと山の入り口に集まり、押し合いへし合いの状態ですすみ、トロッコにのるのです。かなりの速度で迫ってくる壁面。掘り抜いたトンネルの中、凄い鍾乳の連なる中を走ります。ちょっとしたジェットコースター。寒さを感じます。トロッコ(往復複線)で10分近く奥深く入り込んで、そこからまた40分ぐらい登ったり下ったりの道を辿ります。観光客はまことに多く。解説ガイドも英語。スロバキア語、イタリア語ドイツ語。フランス語と言葉ごとになっていて、ぞろぞろと列をなして歩くのです。色も形も大きさも洞の広さも表現出来ない規模のものでた。途中でどうしたわけが、瞬時ですが、2回停電して、全くの暗黒になったのには驚き、恐怖を感じました。皆が何ともつかない声を挙げて立ち止まりました。このような暗黒のなかで、密やかに地球が鍾乳洞のような作品を形成していた悠久とも言える年月を考えさせられました。停電は初めてだと添乗員も驚いていました。スゴイ体験でした。


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