茫茫漫遊記 バルカン半島西部編

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 山地に入ってからの淡水のバチースカ湖です。

Dubciというところで峠を越えアドリア海とお別れになりました。山峡間にも農業。酪農などの町や村があり、今日は日曜日でお店はすべてスーパーもお休みで自動販売機と少しばかりのレストランやバールが開いているだけで、町はとても静かでした。

丁度教会で日曜日の朝のミサが終わる時間らしく、沢山の人が出てきて歩いていました。クロアチア人の80%ぐらいは日曜の礼拝に行くということです。今はイタリア人は50%程しか行かないそうですから、ここは信仰が大切にされていると言うことがわかるのです。

高速道路には野生動物のための横断を助けるトンネルか作られていました。野生動物は見かけませんでしたが、野生の鹿などが、時折見られるそうです。

社会主義の国だったと言うことで、土地の所有はどうなっているのだろうかと質問しました。農地の私有地は、もとの所有者に返還され、買収によって分けられたりしたのだそうです。でも大部分は国有地だとのこと。私有しても価値のない岩山なのだろうなと思ったものでした。

昨日まではダブルベッド使用での一人部屋でしたが狭いシングルベッドです。バスタブは大きくて使いやすかったのですが、周囲がまことに狭く、ベッドがまた小さくて、落っこちそうでなかなか眠れませんでした。車の往来も激しくうるさかったし、朝食もすこぶる単純で冷製ばかりです。我が儘かも知れませんが、旅は終わりが肝心ではないかなと思ったものでした。

ホテルには階下にスーパーマーケットがあり、行ってみたら、ミカドとサポロと言うチョコレートがあったので、話の種に購入しました。バクダンあられ入りでした。

ツァウタットを出発してプリトヴィッチェ国立公園に向かう日です。

アドリア海は鏡。空は青。島は鎮まる。ボスニアヘルチェゴビナの国境に近づくと湾のから見える半島の入江の辺りに、また沢山の牡蛎の養殖場があった。
山の方を見ると、コトルに似たような城壁が築かれ、砦の様なものが見られるところがあります。規模が小さいのだろうが、この辺りでは見慣れた風景なのでしょう。ダルマチア地方の歴史を重ねて思う。
ネウムの街、ボスニアヘルチェゴビナはまたフリーパスでした。

ネレドヴァ河口のデルタ地帯は農業の盛んなところでした。広大な農業地帯が広がっています。果実、特に柑橘類。オリーブなど、この地方の名前はブランドの価値があると言う話でした。
少し紅葉をはじめた木々と、農地の緑がくっきりとして豊かな気分になれます。道際でミカンなどを吊って売っているのが見られました。この川の右手はサラエボへの分岐点。あのサラエボの悲劇を思わされます。クロアチアですがここにはサラエボに繋がる鉄道がありました。物流はネウムだけでは不足なので単線ですが、大事な路線だと言うことです。

ユーゴスラビアの時代に各地方ごとに軍隊を置き、武器を持たせたことが、凄惨な戦いになった一因の様でした。国としての軍隊を分散して各県ごとに自衛させる形式は、問題が生じたときには解決の一方法として戦争と言うことになるのでしょうね。その問題の底辺に、民族、宗教問題があるのですから、無知なものには理解出来ないことです。

遠くローマの支配時代から引きずっている宗教問題ですからなおさら複雑。キリスト教もローマンカソリック。ギリシャ正教。イスラム教。とすべて根本は同じ神の啓示によるのに、何が戦いを引き起こすのか、何が人間を差別するのかが私にはさっぱりわからないのです。サラエボのあるコソボ自治州などは岐阜県程度の大きさだといいますから、そんな小さなところで融和ができずに、流血の惨事が起きるなどとは私には尚更、考えられないことでした。

  

クニンの町はセルビア人の拠点となった所とだそうで、襲撃戦が行われ、難民として逃れだしたセルビア人が
多く、内戦後十二年の今も銃撃の跡の残る廃墟が見られ、新しい墓が数多く立つ墓地が見られました。
プレトヴィッチェ自然公園も内戦のために危機遺産となったことがあるそうです。日本は平和ですね。

     
                         これは 中の湖です。


この公園には92から100以上の瀧があるそうです。1949年に国立公園になり、1979年には世界遺産に登録されたのですが、1991年にセルビアに属することになり、内戦にまきこまれて、危機遺産になったことがありました。今は平和が取り戻され、1997年、回復しました。今はクロアチアに帰属しています。

78メートルの高低差がある川とせき止められて出来た沢山の湖は禁漁なので、鯉の一種である魚がうようよと泳いでいます。

野鳥も100種類以上。ブラウンヘアという熊、ヨーロッパヤマネコ、大おおかみなども棲息しているそうです。

公園のガイドはジョニーウオーカーと言う公園の管理官の一人で制服を着ていました。

          

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ガイドが「熊が出ても心配はいりません。ここの熊はベジタリアンですから」と冗談を言いましたが、熊がでてくるような気配のところはありませんでした。
観光客が多いですから、熊の方で逃げているのでしょう。

入り口から、2両または3両連結の電気自動車で遊歩道の入り口まで移動します。沢山の観光客がいて、ぞろぞろと並んで歩きます。

年間の観光客が100万人とか言っていましたが、長い長い木の橋がかかっている湖に周囲の木々が映っています。

湖の色は翡翠色でもあり、エメラルドグリーンとも言えますが、澄み通っています。周囲の木々はかすかに色づいていて、秋の到来を思わせます。

この木の橋は幅がそんなに広くありません。対面交通で、手すりもありませんから、足を踏み外したら怖いななどとおもいました。橋の下を勢いよく水が流れているところもありました。

瀧の音があちこちでします。振り返っては仰ぎ見て歩きます。

中の湖をボートで渡ります。沢山のお魚が悠然と泳いでいます。長閑な動きです。


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湖は階段状になって生成されています瀧の数は92だといいましたが、一カ所に幾筋が流れている瀧を一つと考える訳ですから、92どころではないと思います。

石灰岩を自然に溶かしながらながれる水は、周囲の倒木などに石灰分を析出しては付着してゆきます。水底にそんな倒木が白くなって見えています。

そしてお魚の数の多かったことには驚きます。

冬には凍り、春には雪消の水で水量が増して、今歩いている道がすっかり水の中ということにもあるんだそうです。

呑むことが出来ますと言いましたが、硬度が高いと思います。

ナイヤガラなどのとどろく大滝はありませんが、とても日本的な感じの風景のなか、心穏やかに遊歩道を歩きました。



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