茫茫漫遊記 バルカン半島西部編 (旗をクリックして下さい)
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まずスロベニア・クロアチア方面へのアクセスが悪くて、成田12時30分のアリタリア航空でミラノ空港につき、そこから国内線に乗り継ぎ、トリエステへフライト約一時間。トリエステに現地時間22時になっています。そこからバスでスロベニアとの国境越えをして3時間。一日目の宿泊地ブレッドへは深夜一時半になっていました。
ミラノ空港の店々はさすがミラノと言うディスプレイです。そのなかで日本のコニカ・ミノルタというのがありました。オートバイメーカーではないと思うのですが、オートバイで日本をイメージするのでしょうか。

      

ブレッド湖の岸の岩山の上に建っているブレッド城です。城とは言っても見はり城の様なものです。ドイツ人の司教ブリクソンが1004年に皇帝からその領地として貰ったものですが、城としての働きはしていなかったようです。ここに登るには、いまではケーブルカーを使います。60メートルの高さを登るケーブルカーはすこぶる急でした。登ると眼下にブレッド湖があります。朝の散歩で対岸から見上げたこの城は、おとぎ話の王子、王女、そして魔法使いなどが思い出される佇まいでした。1511年地震以後に改築されたたいいます。今は博物館として、歴史を見せています。礼拝堂は古い。シーザーが山を越えたというので、スロベニアのシンボルとされるユトリグラウス山(国旗を飾っている)が望めます。少し色づき始めた蔦の絡まる城の窓からは、それこそ童話の中のような塔を持つ教会が立つブレッド島がきれいに望めて感動します。ケーブルカーは新しく出来たのだが、その時にケルトの遺跡の様なものも発見されている。旧世代の化石などのある岩山であり、そこにケルト、スラブなどの生きていた時代の遺跡も包含されていたそうです。



アルプスの瞳と言われる氷河湖です。周囲7キロ。2120メートルと1380メートルの大きさです。水深は深いところで37メーター。冬は凍ります。トラウト、鮎などがいますが、釣魚権があって契約して釣りをするのだそうです。
ここはドイツ人の医師が肥満改善のためのリゾートとして作ったのが始まりで、いまは著名なリゾート地となっています。木のボートでブレッド島に渡ります。
この湖は手こぎボートだけが許可されていて、エンジン着きはありません。静かで水は清澄。音もしないかれ本当に静かな湖です。
ボート競技には最適なのだそうで、スロベニアはボート競技が強いとのことです。
教会の鐘が彼方此方で鳴ります。山をめぐらす湖のしずかさと響きあい、清澄な気分になります。
チトーの別荘で今は最高級ホテル・ビラ・ブレッドになっている建物。ここには皇族がとまったところだとか。




この湖は手漕ぎのボートだけしか浮かべられません。ここの船頭さんはマリアテレジアの  時代からの世襲制だそうです。25人がのるときっちりイッパイになるボートでした。

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湖に浮かぶ緑のブレッド島と教会です。船が着いたところから99段の石段が待っています。ここの教会で結婚式を挙げるカップルは、新郎が花嫁を抱きかかえてこの階段を、無言でのぼるのだそうです。
結婚生活のさまざまな難行苦行はここから始まるななどと笑いながら登りました。


塔は1600年代の建立。古代はスラブ人の祭祀の場所で、神殿があったところだといいます。その上に、800年代からのキリスト教の建物が建立されたので、建物の下から様々の遺物が発掘されたとのだそうです。祭壇の足元にガラス張りになってその遺跡の一部が見られるようになっていました。1747年に、地震で毀れたものを再建した教会はバロック風。木に金箔を施した祭壇が眩しい。壁面は1600年代のもので修復されていました。

聖マリア教会と言うこの教会の鐘から、太く重い綱が下がっていて、お願いをしながらこの鐘を鳴らすと、願い事が叶うと言うのです。重くて、簡単に鳴るような鐘ではありませんでした。結局「鐘よ、鳴ってくれ!」と言う願い事をしたような思いでした。その願いは叶えられましたけれど・・・・。


日本では郵政民営化が進められ、2007年10月1日から移行することになりましたが、いずれにしろ日本では、赤いポスト、赤い〒マークですから、赤が郵便のシンボルマークのように思っていました。
この国では、ポストは黄色で、黄色がシンボルカラーのようでした。万国共通ではないのが当然ですが、今さらながらに、それを感じました。
これはブレッドの郵便局、ポストの明るい黄色が印象的でした。



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