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金沢を出港して、今日は新潟山形秋田沖を 北上中だけれど、陸地は見えない。 日記を書いただけで、一日中海だけを見て過ごす と言うのは贅沢な時間の過ごし方です。 一時頃、津軽海峡を通過してはじめて陸地らしき 景色を見ることが出来た。見てもなんの意味もないことなのだけれど。 連絡船で渡った頃を思い出して海を見ていました。 この度のクルーズでは船がゆれたと感じたことが 全くありませんでした。 海岸線と、瀬戸内海だけですから、それに一番いい時期だったのかも知れません。 日本に大きな影響をあたえた大きな台風が過ぎた あとでしたから・・・。 それとも平素の心がけが良かったからですか? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 航海図を見たら、読めない字がありました。 今までお目にかかったことのない字です。 「魹」です。(さかなへんに毛) 「トド」 と読むのだそうです。 三陸海岸の「魹ケ崎」沖を南下して、明朝八時に 大船渡に入港します。 |
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大船渡港に近づきました。あの東日本大震災の大津波の被害が最も 大きかった地域でした。牡蠣の養殖棚などは全滅!でしたが、 津波が去ればこのように穏やかな海。水底に積み重なった津波の 残骸を片付けて、いまはこの様に静かな養殖棚が見られる様になったのですね。 |
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大船渡の港についたら驚きました。 こんな大きな獅子が踊りながら出迎えてくれたのですから・・・・。 車や人影と比べてみて下さい。 出港の時は囃子にあわせて踊って踊って・・・・。 中に人が乗って坐って。コンピュウターで操っているのだ とわかりますが、それにしても日本一の大獅子でしょう。 綾里大権現の獅子舞でした。 |
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小雨の中バスで出発。三陸鉄道のレトロ列車 一両だけです。外見はご覧の通り |
でも、中はご覧の通り。 ここでマロンケーキとシュークリーム 飲み物のサービスを受けました。 |
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小石浜の駅のホームにある待合室。 あの津波のあと、ホタテ貝に 応援メッセージを書いて貰ったら、 この様にもの凄い数になって、 待合室としてはつかえなくなったと 言うことです。 |
あのとき、 押し寄せた津波はこの高さまで 来たのですと指さしました。 遙か向こうに見える海からここまで! 想像を超えていました。 |
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釜石と聞けば鉄を思うのが私でした。 そしてラグビー。私は「新日鉄釜石」時代のファンでした。 釜石市の今を私は知りませんし、今回もこの鉄の歴史館を 訪れただけで、鉄の時代が終わったのだろうと言う感慨を抱いただけでした。 タタラ製鉄の時代から、溶鉱炉を釜石に設置して、 盛んな鉄の時代を過ごして来た釜石市ですが、 人口はすっかり減少。鉄は繁栄の具でなくなったのをまた認識させられました。 今釜石市には一基の溶鉱炉もありませんし、ラグビーを語る人もいませんでした。 |
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船への帰途、道の駅に立ち寄りました。 海産物・海産物の加工品などが並んでいました。 雨が降り出してあまり心が弾みません。 船に帰ると、岸壁に秋刀魚の立ち食いをさせると 言うテントが張られてありました。 漁村になった釜石は いま 秋刀魚のシーズンでした。 |
夕食は中華。あまり感心しなかった。 紹興酒を試したが、私には合わなかった。 今夜は「宮川 彬良さんのショー」でした。 軽妙な楽しいショーの進行は 流石で、拍手喝采!!!! 大船渡と明日の仙台はすぐ近くなので、 船は沖に出て遠回りして時間を費やし 金華山沖で夜明けをむかえました。。 |
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