日本三景 2019年9月
横浜出港 瀬戸内海 広島・宮島 関門海峡 天橋立 金沢 大船渡 仙台・松島 仙台・横浜
 

金沢を出港して、今日は新潟山形秋田沖を
北上中だけれど、陸地は見えない。
日記を書いただけで、一日中海だけを見て過ごす
と言うのは贅沢な時間の過ごし方です。

一時頃、津軽海峡を通過してはじめて陸地らしき
景色を見ることが出来た。見てもなんの意味もないことなのだけれど。
連絡船で渡った頃を思い出して海を見ていました。
この度のクルーズでは船がゆれたと感じたことが
全くありませんでした。
海岸線と、瀬戸内海だけですから、それに一番いい時期だったのかも知れません。
日本に大きな影響をあたえた大きな台風が過ぎた
あとでしたから・・・。
それとも平素の心がけが良かったからですか?

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航海図を見たら、読めない字がありました。
今までお目にかかったことのない字です。

  「
」です。(さかなへんに毛)
  「トド」 と読むのだそうです。

三陸海岸の「魹ケ崎」沖を南下して、明朝八時に
大船渡に入港します。

 

 


 
 


大船渡港に近づきました。あの東日本大震災の大津波の被害が最も
大きかった地域でした。牡蠣の養殖棚などは全滅!でしたが、
津波が去ればこのように穏やかな海。水底に積み重なった津波の
残骸を片付けて、いまはこの様に静かな養殖棚が見られる様になったのですね。
 


大船渡の港についたら驚きました。
こんな大きな獅子が踊りながら出迎えてくれたのですから・・・・。

車や人影と比べてみて下さい。

出港の時は囃子にあわせて踊って踊って・・・・。
中に人が乗って坐って。コンピュウターで操っているのだ
とわかりますが、それにしても日本一の大獅子でしょう。
綾里大権現の獅子舞でした。


 

 

小雨の中バスで出発。三陸鉄道のレトロ列車
一両だけです。外見はご覧の通り
 
 

でも、中はご覧の通り。
ここでマロンケーキとシュークリーム
飲み物のサービスを受けました。






小石浜の駅のホームにある待合室。
あの津波のあと、ホタテ貝に
応援メッセージを書いて貰ったら、
この様にもの凄い数になって、
待合室としてはつかえなくなったと
言うことです。

 
 

あのとき、
押し寄せた津波はこの高さまで
来たのですと指さしました。
遙か向こうに見える海からここまで!
想像を超えていました。

 

釜石と聞けば鉄を思うのが私でした。
そしてラグビー。私は「新日鉄釜石」時代のファンでした。

釜石市の今を私は知りませんし、今回もこの鉄の歴史館を
訪れただけで、鉄の時代が終わったのだろうと言う感慨を抱いただけでした。
タタラ製鉄の時代から、溶鉱炉を釜石に設置して、
盛んな鉄の時代を過ごして来た釜石市ですが、
人口はすっかり減少。鉄は繁栄の具でなくなったのをまた認識させられました。

今釜石市には一基の溶鉱炉もありませんし、ラグビーを語る人もいませんでした。


船への帰途、道の駅に立ち寄りました。
海産物・海産物の加工品などが並んでいました。
雨が降り出してあまり心が弾みません。

船に帰ると、岸壁に秋刀魚の立ち食いをさせると
言うテントが張られてありました。

漁村になった釜石は 
いま 秋刀魚のシーズンでした。
   
夕食は中華。あまり感心しなかった。
紹興酒を試したが、私には合わなかった。

今夜は「宮川 彬良さんのショー」でした。
軽妙な楽しいショーの進行は
流石で、拍手喝采!!!!

大船渡と明日の仙台はすぐ近くなので、
船は沖に出て遠回りして時間を費やし
金華山沖で夜明けをむかえました。。

 

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