茫茫漫遊記 トルコ紀行
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今日は早朝の出発になりました。晴天。気温4度。車に白く霜が降りています。開門と同時にケマルアタチュルクの霊廟にゆくのです。正しくはムスタファ・ケマル・アタチュルクでしょう。アタチュルクは父なるトルコ人と言う意味です。ケマル・パシャと言う名前を記憶していましたが、パシャとは将軍と言う意味なのですって。霊廟は小高い丘の上にあり、広大な敷地。彼が亡くなってから15年もして、できあがったのだそうです。衛兵が守り、入園に慎重な荷物検査がありました。門の傍にたっぷり実をつけたピラカンサの朱眩しかったです。霊廟はトルコ風の建物ではありませんでした。外観は現代風の四角い建物で、飾りがあるわけではありません。しかし中にはいると、四辺が大理石、トルコ絨毯の模様にも似た金箔で華やかな文様を描いた天井です。祭壇には黒い棺が置かれていました。棺の中ではなく棺の下に埋葬されているのだそうです。イスラムの国なのだが、これはもしかしたら、偶像化しているのではあるまいかと危惧を抱きました。しかし、彼の強い指導力によって、トルコは第二次世界大戦で中立を保持し続けたのですから、崇められるのも無理がありません。 小学生でしょうか、先生に引率されて来た子供達と一緒に霊廟の前で写真をとりました。 今日、トルコ国会は一院制で、5年に1度の選挙で、500人が選ばれるのです。党派が多くて選挙の時は非常な騒ぎになるそうです。 |
500 |
ここから高速道路に入ります。制限速度は120ロ。高度1600米の所を走りますと、雪が道ばたにうっすらと見られました。例年ならば積雪の季節なのだそうですが、今年は異常気象ですって。昼食をKORUと言うホテルでとります。ここはスキー客のためのホテルだそうですがバーーベキューが出来る位だと嘆いていました。下の写真で、雪囲いをした樹が見えますがわかりますか。遠くの高い山々は雪をかついでいましたけれど。 トルコでの食事を一度もお見せしていませんでしたが、今日の昼食です。ご覧下さい。デザートはたっぷりと蜂蜜がかかっていました。この国のお菓子はものすごく甘いのです。 この山を越えれば、黒海地帯にはいり、森林が多くなる。このホテルのKORUという名前は森を意味していますとか、やっと緑の山に巡り合う感じです。 |
ボスポラス大橋です。 |
ここからイスタンブールまでは産業地帯になっているとのことで、て、各種の工場が多くなり、輸送トラックの数が増えました。トルコの輸送は90%以上がトラック輸送であるといいます。 サンパンジュという小さな湖の岸で一休みしました。美しい湖で渡り鳥でしょうか、沢山の水鳥が羽を休めていました。長い長い貨物列車が過ぎて行きましたが、どこへゆくのかはわかりません。 ドライブを続けるとやがてマルマラ海が見えてきました。アジア側のトルコも終わりに近くなり、イスタンブールにはいると渋滞が始まりました。ボスポラス大橋を渡るのに一時間も待つことがあるという話でした。私たちはまぁまぁの待ち時間でしたが、大成建設の工事している海底トンネルの早い完成が望まれているそうです。 アジア側は言ってみればベッドタウンの様にみえますが、高級住宅が沢山あります。 |
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イスタンブールのホテルについて、今夜は自由に夕食をと言うことになり、ガイドに薦められたレストランに行きました。一番の目抜き通りは歩行者天国ですと聞いていましたが、お祭りのような(私は田舎者ですからそんな風に思います)人出でした。タクシム通りです。 自動車は走っていませんが、一両の路面電車が人混みをかき分けて走っていました。 宝くじ売り、焼き栗売り、身体障害者の乞食(?)が沢山います。 ここでもガイドが懐中にご注意下さいを繰り返しました。 ビールとチキンシュニッチェルを食べました。ビールは黒ビールをオーダーしました。一皿で満腹します。 ホテルの窓から見ていると、街は午前2時になっても賑やかでした。 |
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