茫茫漫遊記 トルコ紀行
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アンカラ経由
イスタンブールへ

イスタンブール
   
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夕方のフライトで、昼にならない十一時間を過ごすことになり、食事をとって努力して眠ると言うことになりました。黒海上空の辺りはオリオン星座がはっきりと見える星空。ようやく、イスタンブール上空になると、イルミネーションを見るようなな灯りが美しい。十一時近くても、街の灯りは生き生きとして見えます。
二年前に零を六個とったデノミネーションで一リラが八十五円位になったとか。以前に来たとき物凄いインフレに驚いたことを思い出しました。あまりのインフレでパソコンに入らない位になったのでのデノミだと言うから笑えない話です。
トルコ全体の四%がヨーロッパに属し、イスタンブールはヨーロッパとアジアに半分ぐらいに分かれている都。旧市街はヨーロッパ地域にあります。人口は千二百万人。首都アンカラは六百万人。なのだとか。ホテルは市街地から少し離れて静かなところです。
また眠らなければなりません。そこで朝は早くから目が覚めました。モスクからのお祈りの呼びかけの声は六時二十分位でした。
最終日はバザールの休日にあたるので、今日は買い物の出来ないグランドバザール観光となりました。
開門をしてすぐと言う早朝、それにこの頃では 土耳古の人々が大型店に行くようになり、ここが格別な魅力がなくなり、専ら観光客目当てになったとかで、人が少なかったです。
目抜き通り三百米、そこから縦横に細い路地が作られ、四千以上もの店があると言う話です。
土耳古の民芸品、陶器、金銀細工、トルコ石やその他の宝飾品、革細工、衣服から何から何まで兎に角凡て。そして其処にはたらく人の胃袋のための食べ物屋までがギュッとつまっていますからものすごいです。

迷わないように、懐中に注意、偽物に注意、声をかけてくるのは偽物が多いから、トルコ石なんかは買わない方がいい、等々ガイドは注意を繰り返しました。
出来れば骨董品の小さなものを買いたいなと思って、ガイドに聞くと、骨董品は政府の方針で国外に持ち出すことに政府は神経を尖らせているから、買うのはおやめ下さいなどと言わてしまいました。そんな立派なものを買うとは思ってもいないのですけれど、あきらめることにしました。それがコピーであっても見つかるとなかなか大変だと言うのです。それに旅の最初の日なのだから買い物は控えようと心に決めました。
うろうろしていると、革製品の店から青年が出てきて、何と阪神デパートにも卸している製品だが、ここで買えば日本で買うよりも安いですよと声をかけてきました。そしてにこにこしながら、近々日本へ行って結婚すると言うのです。嘘でしょと言ったら、真面目な顔で、店の奥から結婚相手の日本人女性の写真と分厚い手紙の束を持って来て、にこにこして見せてくれました。こんな人もバザールで働いているのだと驚きました。
それにしても、このバザールで店番をしているのは男性だけでした。売れているのかいないのか判らないような店なのですが、これで、生計が立つのだろうかと訝しく思います。値札の付いていない商品、店番が男の子で大丈夫でしょうか。
「ヤスイヨ」「ミルダケ」とあやしげな日本語で声をかけてきますが、ガイドの注意を守って見て歩きました。
ちょっと高級そうなものを売っている店では声をかけてきませんでした。われわれに買う気がないということがちゃんとわかるんでしょうね。
ガイドによるとイスタンブールは古い街で保守的なところなので、女性はやはり家庭に入り、顔を見せないことが多いとか。この頃の新しい流行の店では女性の店員は多いそうです。

  

      トプカプ宮殿・ハービュス・サーデット門

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トプカプ宮殿。以前は入ることの出来た第一庭園の門の前でバスを降りて荷物チェックを受けます。以前よりもはるかに厳重な警備で、最初からビクビクものです。
サルタンが式典を行ったハービュスサーデット門を見て、その奥に入ると謁見の間があります。。真珠を織り込んだ絨毯、秘密を外部に漏らさないように水音をたてる装置などを見ました。
メインの宝物展示館。ため息の出る展示品です。あの世界一のダイヤモンド。トプカプの宝剣などの展示は状態が以前とはすっかり違っていました。宝剣もつるしてあったものが、今は赤い布団の上に横たえてあり、この前はパチパチ写真を撮ってもよかったのですが、どこも写真禁止になっています。その上監視員がイッパイ目を光らせている有様にびくびくしてしまいました。

予言者ヨハネの手と言う展示物には、ヨハネの手に金のケースがはめられていて、その手の甲の一部に窓があいていて生の黒い骨が見えたのには驚きました。この宝物殿は行った人でなければ判らない凄さで、書き記せません。
ハーレムは予約制とかで見学不能でした。ハーレムの女性は遠くウクライナなどから連れてきた美女達なのだそうです。サルタンが亡くなるとその女性達は地方の知事や取り巻きに払い下げになるのだとか・・。そしてまた新しいサルタンのハーレムが形成されるのだといいます。女性の輸入とは傑作ですが、ウクライナ地方の女性は美女が多かったのでしょうね。

聖なる宗教遺産の間・予言書モハメッドの聖遺物の置かれてある所は、この宮殿で最も大切な所だということが解ります。細やかな細工の金の箱に収められている衣服(箱しか見られないのですが)手紙、髭一本、歯、日常使用したもの、カーバ神殿の扉や足跡などなどが置かれています。ここでは四六時中コーランを読む人が座っていて、独特の雰囲気があります。しかし、ここはモスクではないのです。これらの遺物はサルタンの宝物として礼拝していと言うことなのですから、その権力には驚いてしまいます。

謁見の間の後にある図書館は一八世紀のサルタンの図書室で、ドームのある白い建物。すばらしいタイルで装飾されています。本はないけれどその凄い職人芸術に感動します。また地方の知事などになる様な優秀な人材を集めて教育した学校も、ここにたてられていたということでした。

     
     皇子割礼の部屋のタイル装飾とステンドグラスの窓

 



  

皇子の割礼の部屋は素晴らしい。本当にきれいでした。清潔であることは勿論ですが、入り口のところにはトルコブルーのタイルがきれいに貼り込まれていましたし、窓はごらんのようなステンドグラスで、入ってくる光の美しいことには感動します。割礼という儀式は、日本人の私には解りませんが、大変なことなのでしょうね。
サルタンがラマダンの時、日没後の月をみて食事をとったと言う青銅の天蓋つきの露台がその隣にある。金閣湾、マルマラ海への落日がすばらしいとのこと。
今日のマルマラ海はガスがかかっていて、見通しが悪かったですけれど、昔日を偲んで立ちました。


宮殿の厨房は現在は陶器と銀製品の展示域です。厨房はトプカプ宮殿に住んで仕事をしている人々五千人の食事を作って千人もの人々が働いたところです。以前は大きな厨房の道具も展示されていたと記憶していますが、今回は見ませんでした。
陶磁器の展示館にあった日本の皿のうちの一枚です。陶磁器のコレクションはすごいもので、日本のものは十九世紀のものです。陶器のコレクションの中には、十九世紀の日本のものもある。そのうち三点・色絵皿鉢とジャパンブルーの二点が展示されていました。銀製品の展示館・銀は年月を重ねると黒ずむのが常で華やかではないけれど、細工の細やかさに惹かれます。以前に見た明治天皇からの贈り物の銀の装飾置物は今回は見られなませんでした。


マルマラ海を望む宮殿の東屋があったところにあるレストランで昼食をとり、バスはマルマラ海沿いにながながとドライブして、チャナッカレへ向かうフェリーに乗りました。イスタンブールはボスボラス海峡に臨んでいますが、ダーダネルス海峡の方を渡るのです。イスタンブールを出たときにはまだ明るかったんですが、フェリーに乗るときはもう真っ暗・・・。

この半島は第1次世界大戦の時、50万人もの戦死者があったところだとかで、平和記念公園になっているそうです。真っ暗で何も見えませんが、古い砦がライトアップされていました。

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