茫茫遊記 オセアニア編7

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2月22日


ニュー・ジーランドと言えば羊を連想するくらい、羊だらけです。クライストチャーチからマウント・クック国立公園までの間、穀倉地帯であるカンタベリー平野をぬけると、彼方此方至る所に羊がいます。いつも草をたべています。起きているあいだはほとんど草を食べているんです。でも、太り過ぎって言うのはないみたい・・・。 人口の10倍以上もいる羊です。因みにこの国の面積は日本の八割程度で、人口は静岡県と同じ位じゃないかと言う話でした。

ところでラムは一歳未満の仔羊。ホゲットは一歳から二歳までの羊。三歳以上の羊をマトンと言うんですって・・・。この国ではマトンはほとんど食べないで、ペット用食品に加工されるんだそうです。

日本のジンギスカン料理はマトンを使うそうですね。私は食わず嫌いで未体験ですが、癖の強い匂いだそうですね。ラムは草を余り食べないうちの羊なので、癖がないんだそうです。


羊の妊娠期間は五ヶ月でパドックに雌100頭に対して1頭の割合で雄(多分素質の良い雄でしょうね)を入れて交尾させるんですって。ガイドの話でしたが信じられない!ホントカシラ?寿命は8〜10年。大凡は6年ぐらいで処分されるですってよ。羊のしっぽは生後5日位でリングをはめて血流を止めて落ちるように処理するそうです。

羊の種類は25種類以上、最上の毛はメリノ種のものです。そういえばメリノウールって言う言葉がブランド品についていました。

それにオーストラリアから入ってきて増加し、害獣と思われるようになったオポッサムの短い毛を混紡したものが、今は取り扱いが楽な上に、薄手で好まれる様になったとか言うことでした。

飼われているのは羊だけでなく、勿論牛も馬もいましたし、食用のエミュー(ダチョウの種類)を飼育している農場も見られました。 

テカポ湖

東京ー名古屋と同じくらいの距離は長いですが、車が少ないですし、のーんびりとした風景の中をバスはハイスピードで走ります。気分が晴れます。
ここでガイドの話・この国ではプロのドライバーは別ですが、飲酒運転は許されています。パーティでも、なんでも車で移動しなければ参加できない。公共のバスが走っているわけでもないし、飲酒運転は自己責任。道路には電灯が全くありません。反射板が一定距離を置いて立っているだけ。道路に無駄なお金は使っていません。人口が静岡県程の国ですから、混雑などと言う感じは全くありません。


  







サザーンアルプスの山々の氷河から流れ出す水をたた えた「テカポ湖」です。氷河が少しずつ削ったグレーシャ ー・パウダーが入っていてとろりとした水の色です。

湖の色は季節・天候・時間でそれぞれ異なった雰囲気 を持つのは何処でも同じ事でしょうが、ぽっかりと空を  映す湖のまわりには人の気配もなく、陳腐な表現しか  出来ませんが、私がたった一人でここにいる様な気持  ちになって湖に向かってたっていました。

本当に夢を見ているような感じでした。テカポとはマオリ語で「夜の寝袋」って言う意味ですって。
空気の澄んだ山の湖では、星はどんな風にこの湖にうつるのでしょうか?
下の教会は「よき羊飼いの教会」です。ぽつんと湖のそばに立っていて、祭壇の後ろが丁度この湖とサザーンアルプスの山々が望めます。ロマンチックで結婚式などがいまでも行われるそうです。牧羊犬の像がすぐちかくにあり、羊飼いの国だと言うことを実感します。

このあと、登っていくとプカキ湖になります。プカキとは「水の源」と言うマオリ語。ここもグレーシャー・パウダーの色です。テカポ湖とプカキ湖との標高差を利用して水路が造られ、水力発電や養殖漁業が大規模に行われています。発電の7割が水力で行われ、他に風力、火力を利用しているとのことでした。

プカキ湖まで来るとマウントクックを望むことができます。

雲の流れが速くて頂上が出たり隠れたりします 。昨日の激しい風のウエリントンの天候から考えると、今日こんな風にしていい景色が見られるとは、思いもかけないことでした。多分、心がけのよい私がいますので、この幸運にあったのだと、独り合点、独り喜び、満足しました。信じて下さいますか? 昨日はここは雨で、雹まで降ったと言うことでした。夏だと思えない肌寒さです。


マウント・クック







マウント・クックと言うのはアオラキ・マウント・クックと言うのが正式名称だそうです。
アオラキとはマオリ語で(空に突き抜ける高さ)と言う意味です。

日本で言ったら富士山なのでしょう。南緯45度にありますので、富士山よりも少し低い(3754米)ですが、タスマン氷河他多くの氷河を抱いていて、登山の難しい山として知られています。

立ってこの山を見あげている像は「ヒラリー卿」です。「サー・卿」の称号がありますので、英国人だと思っていましたが、ここニュー・ジーランドの人でした。
考えてみればニュー・ジーランドも英国でした。

マウント・クック村は、ここで観光案内や登山のガイドなどを仕事としている人々だけが住むことを許されている 定員300人の村だそうです。ホテルから少し離れたところにひっそりとありました。登山をするには、許可が要り、ガイドがつかないと登れません。ビジターセンターに行って、いろんな解説書をみたり、公園全体の模型を見たりして来ただけの私たちです。ホテルはハーミテージでそこのアオラキ棟に泊まりました。目の前がこの景色でした。お薦めです。ホント。


2月24日 クライストチャーチ









今夜は古城レストランでディナーの予定です。そんなところに行かなくてもいいんじゃない?私たちだけで夜の街を回ってみたい・・と言いましたが、道連れは食事が大事でした。明朝は9時前に出発ですから、朝もムリ。



マウントクックから帰って来て、今夜はクライストチャーチに一泊します。ここは本当に素敵な街でした。

街の中を流れる清流のエイボン川には通り毎に美しい橋がかかっています。その中で最も大切なのは追憶の橋です。ニュージーランドの軍は志願制ですが、本国が英国である関係で、多くの戦争に派兵しました。そこでの戦死者を追悼するための門です。追悼の銘文を記して薄いベージュ色の門がたっています。時間がなくて写真は撮れませんでしたが、強い印象をうけました。

ここの教会は英国国教会です。右側のモニュメントは聖杯をイメージして造られたものです。

この広場で、日本の観光地にみられるような写真屋(日本人)が椅子を並べて観光客に声をかけては写真を撮っていたのに驚きました。なんだかとっても恥ずかしい気分になりました。日本人を相手にしての商売のようでした。まわりの人たちに好奇の目で見られています。

シティ・ループと言う赤いトラムが街の目抜き通りを一回りすると言うので、乗りたいと思って運転手に運転時間を尋ねると、最終が8時半。朝は9時からと言うことで私たちには不可能だったのが残念でした。

            

古城レストラン








    

クライストチャーチの街を見下ろす山の上にあるレストランで、ガイドブックにもついているところです。

昔は山越えをするときのお休みの舘でした。こんな舘が三つありましたが、今は二つが残っているそうで、その一つがここ。「サイン・オブ・タカヘ」です。もう一つは「サインオブ・キウイ」で喫茶店になっているそうです。
ところで「タカヘ」は1948年に絶滅と思われていましたが、近年棲息が確認された鳥の名前です。

夕方の山を登り、重厚な城のような構えのレストランで、にこやかなピアニストの演奏に迎えられていい気分になりました。

ここの前菜にはエミューの薄切り肉が出ました。美味でした。スープは匂いが美味しそうでしたので、ほめましたら、味が辛すぎました、赤ワインに仔牛のステーキで満足しました。デザートは例の通りダイエットの大敵!カロリーを考えながらついにすっかり平らげました。
9時過ぎに山を下りましたが、眼下にひろがる夜景が非常に美しかったです。多分空気が澄んでいるのでしょう。
このレストランにも、日本人女性が働いていました。やはりワーキングホリディビザで来ているとのことでした。

電池不足になったので、電池の残量を惜しんで写った状態を確かめることをしませんでしたので出来上がったものはこんな具合になりました。この国では差し込みの形が違っていて、充電できなかったのです。(あとで、ひげそり用のところ からとれる事がわかりましたがすでに手遅れです。私はこれでも鬚は剃る必要がありませんから、気がつきませんでした。残念でした。鬚が生えていれば写真がよく撮れるなぁんて言う話になりそうですね。解説付きの笑い話です。)


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