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次いで今帰仁城址にゆく。
琉球の王朝の歴史、三山時代の城・グスクの一つで、最も古い形で残っているのだとのこと。薩摩からの攻撃で終わってしまったのだけれど、その繁栄の姿は城の広大な敷地とそれを囲む長大な石垣の遺構に偲ばれる。馬を沢山飼い育てていたところだ思われる場所に見つかる骨の類、また陶器など生活に使った遺物が多く発掘されているそうです。今もなお発掘が続けられて整備をし続けているのだそうで
興味深い。
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若かった頃には上まで軽々とのぼれただろうが、今はもうその勢いがなくなった私。のぼるときにはガイドについて貰えるのだそうだが、他の観光客について来たガイドの説明を傍から耳を立てて聞き、図々しく質問もした。「どうして(今帰仁)と書いて(ナキジン)と言うのでしょう?。」ガイドさんは「皆さんに聞かれますが、解りません」と言う返事だけだった。
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下に見られるのはその長大で堅固な城壁です。
観光地として知られたところは殆どが人の波だったが、「今帰仁」の城趾は琉球の歴史を考えさせるに足る遺跡だったと感銘する。首里城のような混雑はなかった。落ち着いて意義を考えさせられた。 |
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船への帰り道に「三味線」とある店があったのでふと口にすると、ドライバーが何となく嬉しげに解説、運転席の横から、何と蛇皮線を取り出して「島唄」の歌い手だから一曲唄って聞かせましょうと言う。拍手して喜ぶと蛇皮線を弾いて二曲聞かせてくれた。
ニシキヘビの皮を張った本当の蛇皮線を初めて見たので、触らせて貰う。ざらざらとした手触りで驚く。ニシキヘビはラムサール条約の関係もあり簡単に手に入らないので、蛇皮模様のプリント布地を張る「人工張り」が一般的になっているそうである。良い体験であった。
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疲れたと言うよりも自分の身体がなんだか言う事を聞かなくなった感じがする。
夜の食事は「奄美大島郷土料理」だそうで、学校の先生を退職した人が開いていると言う
料理店「なつかしや」の作品。
「どびんにゃ貝」だとか、「もち米天麩羅」「はんだま寿司」「海老のほやほや汁」などなど不思議な名前を持つこの地方の材料を使った料理でした。
デザートは「ふくらかん」と言う黒砂糖を使った蒸し饅頭。これも名前が愉快でした。
地方色豊かで、名前で味わってみたお料理!
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