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高校生とおぼしきグループが幾組も
守禮の門をくぐって城内に入っていく

 
沖縄本部に着き、殆どの乗客は、ツアーに参加し、船は静かになる。
私たちはタクシーを予約して、首里城を訪ねたあと、琉球村で昼食。万座毛。そのあと今帰仁城址を訪ねることにした。
沖縄・琉球には三山時代があって、浦添城。首里城。今帰仁城がそれぞれ繁栄していたらしが、保存された形で残っているのは中山とよばれた首里城だけと言う事だ。本部町から首里城へはかなり離れている、途中、路沿いに延々と有刺鉄線がはられて、米軍基地が続く。タクシーのドライバーは、このことに触れると、饒舌に自己の主張を話し出した。
相づちを打ってみても、仕方がないが、いずれ占領された過去は消すことの出来ない傷ではある。
外国人観光客(特に中国人、韓国人が多いのに少々辟易する。

 


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首里城に入ると壮麗な門が六門。そして琉球の歴史を誇る宮殿がある。以前に来たときにはスイスイと巡ったのだけれど、今は一巡りすることは無理。階段をいくつも上り下りすることなど考えられず、十二歳年下の従妹だけが、門の中に入って写真を撮って来てくれた。
宮殿は豪華に調えられていたとのこと。琉球が薩摩藩に征服?された証なのだろうか、畳敷きの日本の座敷のようなところもあったと言う。
以前に来たときには見られなかったのだが、琉球の役人らしい服装をした係員?が、門に付いて立って案内をしたりしていた。
 



  何度も繰り返すが、首里城には外国人(中国・韓国)観光客がが多いのに驚いた。中に琉球の民族衣装を着せて貰って、嬉しそうに歩いて居る西欧人の家族がいたのは愉快であった。

運転手は我々をどの様に見たのだろうか。
「琉球村と言う所にいきましょう」と、言う。

我々は何も知らないから、兎に角連れて行って貰うことにした。
「琉球村」と言うのは。観光のために造られている施設だった。ここには歴史と言う見るべきものはない。
 


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  昔の琉球の家などを移築でもしたのであろうか。

昔風の家屋が建てられていて、懐かしい情景としてみられるのだろうけれど、雑然として、中には土産物屋だとかが並んでいて、少し興ざめであった。

昼食を摂るところがあると言うドライバーの勧めに従ってみたが、カードを買って注文して、自分でテーブルまで運ぶ形。「ソーキ蕎麦」と「海ぶどう」と言うのをオーダーして試したが、あまり頂けなかった。

 


大きなアダンの実。をそちこちで見かける。
パイナップルのような形だが食用にはならない


「万座毛」へ立ち寄る。以前に訪ねたたときにはビーチの大きな崖の上に一万人が座れる広い原があるの意味で「万座毛」だと聞いて、成る程と思った光景だったが、今回は近くまで行くともう既に座る場所がないくらいの人が往来占拠していたのに驚いた。海の見える崖の所まで行かないで踵を返した。
それに大変な車の渋滞であった。

ドライバーによると、明日が清明祭だからだと言う。
内地でのお盆のような催事で、里帰りしてお墓参りをする慣わしなのだと聞く。
先祖を崇敬することが琉球の大切な伝統だと言う。

確かに大きな立派な琉球のお墓は一門の大切なつながりを保持している様子を見ることができる。内地のような個々の墓ではなく、大きく壮大に見えるような墓が揃っている。祖先を崇敬する心が伺われる。


     

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