茫茫漫遊記 中華民国・大連・北京紀行
 大 連    旅 順    大 連    北  京    北 京   北  京



今日は雨もよいです。大連市内を観光することになっています。
まず最初に、満州の広野を走ったであろう亜細亜157号を見に行きました。
この機関車の元の名前は「パシナ号」。

同じ満州の瀋陽市蒸気車博物館と、ここ大連市科潔鉄道汽車大修公司
展示してあります。黒い鉄の塊のような顔つきをしています。
運転室の石炭の焚き口には、石炭の灰がゴッソリ残ったままでした。
撫順炭鉱のの高品質の石炭が、この亜細亜号の時速110キロという高速運行
を支えたのでしたが、次第に品質が低下し、時速60キロ程度なまでなったそうです。

昭和14年に日本の川崎重工業株式会社によって製作されたものです。
戦後は「勝利Sl−7型」Lとして使われたのです。
今はこのように静かに展示されています。



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早朝の雨の中でしたが、
ロシア人街の通りには
もう露店が店を開いていました。
通りにはロシア風・ヨーロッパ風の
建物が昔日のままに残って
います。

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ロシア人街をまっすぐ通り抜けたところにある
旅順博物館です。
これは正面玄関ではないように思います。
入館しなかったので詳しくはわかりません。
正面玄関には(郭沫若揮毫扁額)がかかっていると
ありましたが、雨の中ですから確かめませんでした

この建物には日本の大谷探検隊が
シルクロードなどから持ってきた資料・文物
などを収蔵してあることで有名なのです。

下からですのはやはりロシア風の建物
船舶技術学校です。港の街ですから。



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1914年に中山広場に面して建てられたものが、現在もそのままの形で営業されています。当時としては大きなホテルで、客室数も115だったそうです。
欧米人の宿泊を予想して、スチーム暖房、エレベーターも設備されたそうです。

現在は三つ星ホテル大連賓館として、当時の建物のまま営業しています。

大連市の管理なので、市長などが、重要な賓客を迎えるときなどには使われるとの事でした。
大改修されて、客室には近代的な設備が整えられているそうです。予約して宿泊可能です。


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エントランスホールや宴会場などは当初のクラシカルな装飾がいまも使われていました
このホールの正面の椅子には、周恩来と田中角栄が座って握手をしたのでした。
下からでる宴会場では、ダンスに歌と 華やかな社交の場が繰り広げられたのでしょう。



満鉄本社へ行きました。当時の建物がそのまま残されて、「大連満鉄旧址陳列館」となっていました。豪勢な作りで階段などは黒漆塗りでした。
児玉源太郎、寺内正毅により1906年に創立された南満州鉄道会社です。
初代の総裁は、後藤新平。2代目は中村是公です。歴代社長の写真が総裁室にずらりと飾られてありました。その中には松岡洋右もいました。
2代目の中村是公は夏目漱石と同級生であり親友でした。彼の招待で満州を訪れた漱石は「満韓ところどころ」と言う文章を書き、当時の満州の姿、満鉄のようすなどを詳細に伝えています。
満鉄は病院。学校などの経営にも力をいれました。


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設立当時のことを詳細に伝えている陳列室には、中国語と英語の解説しかありません。日本語だったら、ちょっと読めないような略奪とか過酷な労働とかが書かれてありました。反感に満ちている感じでした



こちらは日本人が住んでいた地域です。

ロシア人街とは対照的に、日本人街は静かなものでした。かなり豊かな暮らしをしていたのでしょうが、大きなお屋敷は、幼稚園になったり、レストランになったりしています。普通の生活をしていたらしい家には、今は何所帯かが共同に使っているのが多いとかで、荒れていました。
日本人の満州移民は最盛時には23万人にものぼっていました。裏の方の小さな通りには、昔の東京の家々みたいな門構えの家もありましたけれども、雨のせいでもあったでしょうか。散策は寂しかったです。



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午後になって雨は晴れました。海にそう大きな通りを走る電車に乗りました。
満鉄時代の電車が今もそのまま使われていて、
のんびりしたチンチン電車です。運転士は女性が殆どで、以前は制服もなく、
いわゆるチャイナドレスで運転する人もいたとのことでした。
殿方は嬉しかったでしょうかが、いまは紺色の制服でした。冷暖房勿論ありません。
今日では新しい型式の電車に変わりつつありました。


電車賃は一元だとのこと。細かいお金がないと自分で他の人から
料金を集めてお釣りにするとか。
タクシーは一万台くらいで、こちらの初乗りは8元で、同方向なら
相乗りが出来て、経済的にも相乗りが普通になっているとのことでした。


ホテルで広東料理を食べて休みます。明日は北京への移動日です。
大連ビールを飲みました。青島ビールと大差がありませんでした。


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朝。青空である。大連ではめずらしい晴れだと言うことでした。先ず上野駅を模して
造られたと言う大連駅を見にゆきました。上野駅はもうこんな風に一望は出来ません。
沢山の乗客がいて混雑していました。以前は列をつくるということがなくて、
混乱していたそうですがこの頃は、列をつくるようになったと言う事でした。


標高160メートル・緑山で、大連の最高288メートルの電視台展望台へゆきました。ここから大連の市街地が一望できます。このビル群の向こうに大連港があるのでした。
満州という言葉からイメージしてきた大連は、すごい発展を遂げている大都市でした。

上海。天津。大連と言うのは中国の3大港なのだそうです。 本当に成長途上の力を感じさせられました。
下から出るのは、大連のポストです。緑色で、こんなにお洒落できれいな装飾がありました。

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最後に大連港に行きました。この建物は日本の支配していた時代のものを、そのまま使っているのでした。名前は変わっていました。「大連港集団有限公司」です。そして下から出る記念モニュメントには江澤民が「建設面向二十一世紀的 現代化港口」と書いたものが飾ってありました。1999年8月の揮毫でした。

この港の、この埠頭から、戦後の引き揚げが行われたのです。たどり着いて、船を待っていた人々のこと、その中には亡くなる人もいたのでしょう。切ない話をです。そんなことを思い、いまここに平穏に立っていられる私たちの幸せをしみじみと思いました。



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