茫茫漫遊記 中華民国・大連・北京紀行
 大 連    旅 順    大 連    北  京    北 京   北  京

成田を出て3時間10分の飛行。、時差は1時間です。時間に違和感はありません。



大連空港に着陸する前の窓外から見えたこの光景にまず驚かされました。この近代的ビル群。
私の想像していた「満州」にイメージからはかけ離れたものでした。この国には私有地が
なくて、建築をする業者は国から土地を借りて、その上に建物を建てるのです。
このビル群も要するに国有地で、借地料が国の収入になると言うわけなのですね。
大連と言う名前の意味は、ロシア語の「ダーレン・遠い地と言う意味」から来ているそうです。
人口六百万。雪は積もらず、夏は三十度以下なので、中国の避暑地になっているそうです。
中国の街の住宅は、ビルの共同住宅で、土地の売買はないから、殆ど個人で建設する
ことは無いそうです。購入の契約は20〜40年。以前は大金持ちを「万元戸」と言いました.。
今は「大款」と言う 別の名前で呼ばれる超富裕層がいる中国です。
ケ小平により、人民公社が廃止されたのだが農村部は
未だどちらかと言うと貧困があるようです。


見た事があるようなビルです。東大の安田講堂を模して造られた、旧満州時代もたてものです。これに対面してもう一つ同じような建物があり、現在は「裁判所」と「警察省」として使われているのだそうです。
その間には芝生の人民広場という前庭のある大連市役所がありました。
これらは中山路と言うメインストリートにそっています。
並木はプラタナスとアカシアがおもなもので整然とととのえられていました。

このところ、車が増加して来たそうですが、交通ルールがまだ確立していないようで、歩くときは、よく安全を確認するようにとの注意をうけました。






左の写真は大連市役所だそうです。この人民広場を挟んで、上の赤煉瓦の建物が対面してたっているのです。

ところで、大連では「中山路」「中山広場」というふうに「中山」」と言う名前のついた主要な道路や設備や大学などがありますが、これは「孫文」のことです。

中国革命の父と言われる「孫文」は、号を「中山」と言い、字は「逸山」です。中国では孫文よりも孫中山(スン・ヂョンシャン)の名称が一般的であり、尊敬の念をこめて「孫中山先生」と呼ばれているのでした。



旧横浜正金銀行は、貿易・金融・外国為替の専門銀行で、租借地であった満州・関東州の貿易センターとして大連大広場(現・大連中山広場に面した建物で営業していました。

中山広場は工事中でシートに覆われていましたので全部は展望出来ませんでしたが、ここには日本時代に建築された建物が残っていました。この正金銀行はその内の一つです。

大連が外国交易の重要な拠点であったこたがわかります。






大連日航飯店に三泊します。レトロな電車の通る大きな通りに面しています。

中国へきたのでした。食事はすべて中華スタイル、円卓からそれぞれとって食べるきまりです。

ホテルからバスで「凱菜飯店」という別のホテルのレストランに移動して「広東料理」です。

青島ビールを飲む事にしました。以前の上海旅行の時にものみましたが、日本のビールとは全く違いました。アルコール分が少なくて、軽すぎるのでした。

まぁ、それはともかくとして今日から始まる旅の無事を祈念して乾杯しました。


第二日目

朝食は、どこのホテルも同じでしょう。ブッフェスタイル。でもここは中国です。中華のお料理がメインみたいです。「土豆」と言うのがジャガイモでした。中国語と英語がかいてありましたので、解りますが、どうしても中国の名詞は理解できませんでした。

今日は大連からバスで一時間くらい離れた旅順へ行く事になっています。
朝、ホテルのフロントのホールに集まりましたら、太極拳の演技を見せてくれていました。
中山広場が工事中でなければ、そこへ沢山の人が集まって、演技をしているそうです。


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