茫茫漫遊記 スイス編5
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8月24日 鼠かえしの家





ツェルマットの古い通りには、こんな家があります。穀物を保存したところで、鼠が登れないように、床板の下に平らな石をはめ込んであります。下から登ってきた鼠もこれで侵入を阻まれてしまうわけです。釘なしの建築です。文化遺産として大切にされていました。私たちのホテルからの近道は、エレベーターで岩山の地下におりてトンネルをくぐって街に出るようになっていましたが、時間があるからと思い、エレベーターを使わず、岩山をゆっくり下りました。だらだらと下るその坂道の長いことに驚きましたが、昔日はそんな道だけだったのでしょうね。街は電気自動車が少しと、馬が交通手段ですから沢山の観光客がゆったりと歩いています。おみやげ屋さんがイッパイです。ここで、スイスの料理の定番となっている「チーズフォンジュ」を食べました。キルシュと言うアルコール飲料と一緒にチーズを鍋に溶かし、パンにつけて食べます。白ワインとチーズフォンジュは良い感じでしたが、日本人のわれわれはアントレにフレッシュベジタブル(一人前をまた二人で食べましたが・・・。)が必要でした。アルコールが入っているから、アルコールに弱い人は駄目です、と言われていましたが、どういう訳か私たちは全く心配ありませんでした。上に挿入した植物はアルプスリンドウだそうです。ハイキングの途中で写したもので、きちんとフォーカスしていません。


山岳博物館





妙高高原町の方には申し訳ないことですが、ツェルマットが妙高高原町と姉妹都市だと言うことを、ここに来てはじめて知りました。とても嬉しかったです。山岳博物館は小さいですが、マッターホルンの登頂の歴史が詰められている博物館です。ことに重点を置いている1885年・7月14日は、この山の初登頂と、遭難の悲劇の日で、その日の部屋がありました。初登頂を果たした8人のパーティが下山途中に、ウィンバーとタウグヴァルダー兄弟だけが助かり、他の4人は滑落してしまったのです。彼らをつないでいたザイルが、重さを支えきれずに切れてしまったのでした。この滑落の時、ザイルを故意に切って、自分たち3人が助かったのではないかと言う疑いがもたれ、審問がひらかれました。結果、故意ではないとされましたが、その議事録と、切れたザイル、その他の遺品がこの部屋に展示されていました。この事故は、マッターホルンの征服と言う快挙のかげにあり、山岳事故史上で、最も大きくとりあげられたものだったと言います。すぐ近くの教会の墓地は大変によく整備されていて、アルプス遭難者の墓が沢山ありました。ピッケルなどを墓石につけてあるものもありました。上の右の碑はやはり遭難者の記念碑です。


8月26日 ツェルマット駅前・朝





昨日のあの好天はどこへやら、今日の移動日は雨でした。朝、氷河特急の駅に集合。ここは自分で荷物を列車まで運びます。これが駅舎かしらと思うようなたたずまいでしょ?氷河特急はここからサンモリッツまでですが、私たちは途中下車してアンデルマットからインターラーケンに行きます。サンモリッツにゆく途中がもっとも素晴らしい景色がみられる列車だそうですが、私たちはユングフラウを待たせておりますから、アンデルマットで下車して、ユングフラウの麓の街インターラーケンに向かいます。少し残念ですけれど、サンモリッツはこのつぎにします。


氷河特急





ツェルマットから、アンデルマットまで乗る氷河特急です。ツェルマットのプラットフォームは屋根がかかっていて暗いので、写真がくっきり撮れませんでした。氷河特急と言う名前ですから、氷河が沢山見えるのだと思ったら大間違い。氷河から流れ出る川筋に添っています。一等の展望車輌は天井近くまで窓があって、景色は最高です。進行方向に向かって乗ったと思っても、途中でスイッチバックして方向が変わります。車掌さんが検札に来ました。日本の新幹線と同じように、売り子が回って来ていろんな記念品を売ります。下の写真の傾いたワイングラスは、この鉄道がこれくらいの角度の傾斜を走ると言うことを意味しているのだそうです。実用品ではないです。実際はそれほどの傾斜ではないらしいですけれど・・・・・。


木彫りの村ブリエンツ





アンデルマットから、ユングフラウの麓の街・インターラーケンに向かいます。途中、木彫りの町として愛されているブリェンツに立ち寄りました。まぁ、こんなところにカワイイ子犬たちを連れてきて大丈夫なの?と聞きたくなるほど真に迫った彫刻の犬です。首から下がっているロープも木彫りです。この犬は、ロープまで全部が一木から彫られているんですってよ。アンティクものを展示してある部屋のある工房では、職人さんが機嫌良くポーズをとってくれました。ブリェンツの町はブリェンツ湖に添う小さな小さな町でした。この時は雨が降っていました。また言いますけれど、なんとも心がけが良い人たちばかりで、移動のバスだとか列車の間は雨が降ります。下車する頃になると晴れます。参加者はみな「私の心がけが良いからです」と言って憚りませんでした。勿論私も・・・・。


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