ドバイ空港 リスボン・ロカ岬 エボラ・ロカ岬へ |
セビリア スペイン広場 白い街ミハス |
ラ・マンチャ 風車の村 マドリッド |
グラナダ アルハンブラ ラマンチャ |
バルセロナ グエル公園 サグラダファミリア 大聖堂 |
九月六日 14持58分 秋田新幹線 東京着18時6分 成田エクスプレスで 空港第二ビル。 荷物を預け入れ、搭乗手続きをして、エミレーツ航空の搭乗ゲートへ エミレーツ航空のゲートまで 随分 距離があって、時間がかかった。 3時40分着 ドバイ空港で乗り継ぎ、リスボン行きは7時25分発。 長い時間を空港のラウンジでお茶を飲んで過ごす。 |
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リスボン着12時35分 ・リスボンでの最初の食事 ・ 干しタラの卵とじ…地方独自の者だという。 大量の野菜サラダ。デザートまで パンにはスペインだから オリーブオイル。 大量なので辟易するくらいだった。 |
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十六世紀のポルトガルの栄光が目にみえるような白亜のジェロニモス大聖堂…修道院 1502年にマヌエル1世によって着工され、1511年に回廊など大部分が完成したけれど、その後、 マヌエル1世の死やスペインとの同君連合による中断したりして、完成まで300年ほどかかった。。 ヴァスコ・ダ・ガマによるインド航路開拓および、エンリケ航海王子の偉業を称えたもの。 1983年世界遺産に登録されている。 世界遺産の祭壇では結婚式が行われていて、、入場はそれが終わってから と言うことで、暫く待つ。夏の光は眩しい。 |
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これらの建築資金は、最初にはヴァスコダガマの持ち帰った香辛料の売却による莫大な利益で まかなわれ、その後も香辛料貿易による利益によった ヴァスコダガマはポルトガルの航海者また探検家。 ヨーロッパからアフリカ南海岸を経て初めてインドに到達したと言う記録が残っている。 ヴァスコダガマと言う名は 世界史の教科書で学んだ名前でした。 この航路の開拓によって、海洋進出の基礎が築かれたのでした。 |
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発見のモニュメント 大航海時代のはじまりをあらわすモニュメント ポインターを載せて下さい 十五世紀にポルトガルとスペインの探検家が乗った三本のマストを持つ小型帆船。 先頭に立つのはエンリケ航海王子 ポインターを載せて下さい。 同時代のの探検家・芸術家・科学者・地図制作者・宣教師など 同時代のいろいろな知識人のポルトガル人が乗っている形です。 エンリケ航海王子の没後500年を記念して1960年に作られました。 |
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ベレンの塔 この前来たとき〈25年くらい前)はもう少し白かったような気がしましたら、 汚れるので何年間か毎に洗浄するんですよとのことでした。 大航海時代の船の出入りを監視する塔として2015年に建てられたもので、中には 鉋台や,謁見室、礼拝室などもあるそうです。そして地下には水牢。 そんな歴史とは無関係に若い人たちの音楽イベントがあり、賑やかでした。 写真はやっと撮りましたが、隔世の感がありました |
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エボラの街 エボラは街全体が世界遺産になっていて、頑丈な城壁で囲まれていたところでした。 ここには、天正の少年使節団が滞在して、下のパイプオルガンの演奏を聴いた所です。 このパイプオルガンを先頃日本の女性が来て演奏したのだそうで、 その記事の載った新聞をレストランの主人から貰ってきました。 |
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エボラは紀元前にローマのしは如何にはいっていて、 その時代のコリント様式の神殿の柱がのこっていました。 ローマからイスラムの時代へ入り、レコンキスタで、キリスト教に なったという歴史があり、その時々の建築様式が見られます。 |
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レストラン 壁がコルクの樹皮 |
コルク製品の店。 |
城壁の外にの野はコルクの木がいっぱいそだっていました。 レストランの壁がコルクの木の皮を壁にはっていました。日本の 桜の樹皮みたいな感じがしました、 コルク製品が沢山売られていました。鞄や財布その他もろもろ・・・。 孫がコルクのサンダルを買いました。 。コルクというとワインのボトルの栓だとばかり思っていまし |
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ロカ岬 ポルトガルの詩人ルイス・デ・カモインスの叙事詩の一節が 刻まれた碑があり、ここに来たと言う証明書が貰えます。 ガイドの説明 『ここにりくおわり、海がはじまる』 でした。 明治時代の日本詩人が翻訳したのは 『ここに陸(くが)果て海はじまる』 この方が詩としての雰囲気があると思いました。 |
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