茫茫漫遊記 小笠原紀行
    
 まずは横浜・・・・。    
   乗船して父島へ    
   
父島で    
父島を離れる

上陸した 青灯台の埠頭にすぐ近くが大村海岸で浜に出る事が出来ます。

ここには昭和23年に本土復帰してから、20年を経たことを示すモニュメントがありました。あの敗戦後、占領されていた時代のこと思い起こさせる、鳩と船と少年と少女が本土に向いて手を伸ばしている姿でした。

母島にも同じような記念碑があるそうです。ここから母島へは「母島丸」という連絡フェリーで行くのだそうです。

海が穏やかなときはそれでもいいのですが、荒れたらどうなるのでしょうか。山暮らしの私には想像しがたいものでした。



  ポインターを載せて下さい。
父島の北部観光ツアーに参加します。

まず大村海岸の青灯台埠頭から、マイクロバスでの移動です。先述のように、この島には観光バスなどがないのです。

三日月山展望台から海を望みます。海は果てもなく素晴らしい。

ここからもホェールウォッチングが出来るそうでしたが、よくわかりません。沖にはウォッチングのための船が出ているのが見えました。眼下は岩場になっています。

この諸島には、父、母、兄、弟、嫁、婿、などという家族の名前がついているが、そのいくつかを、ここから、望むことができるのでした。


たこの木です。たこの木は沖縄だとか、熱帯地方によくありますが、これは小笠原固有種のたこの木は沖縄ですとか。

くいしんぼうの私は、この実は食べられますかと、まずは聞きました。熟れた実の中に種があり、それを割って食べられるとか言いましたが、食用としては使われていないみたいな話でした。

小笠原諸島は海洋島なので、いろいろな固有種や希少種があり、いわば東洋のガラパゴスなのですが、歴史的にさまざまな変遷があり、今は一生懸命に、その保護に取り組んでいるのだと聞きました。


世界自然遺産としての候補地なのですね。



 ポインターを載せて下さい。



宮の浜と言う父島の一番北側の浜です。珊瑚のカケラが沢山打ち寄せられていました。

海中には、珊瑚が沢山生育していて、お魚が多く棲息しているので、スキューバダイビングには最適だとの解説でしたが、勿論私たちはアウトです。

この浜は、太平洋戦争当時、特攻兵器の「震洋」・ベニヤ板張りの爆弾ボート・の基地で会ったところだそうでした。

感慨深く眺めて、大村海岸に戻って、ツアーは終了です。
約二時間でした。

      




父島のメインストリートは埠頭の周りにあるだけです。

おみやげ物や、マリンスポーツの用具を売るお店が並んでいますが、閑散としていました。大型観光船が入ると、それを歓迎し、連絡船・小笠原丸が入港したときだけが、賑わうような感じの町でした。

まず市役所を訪ね、その前にある表示板を見ました。東京都に属している島なのに、矢印に「東京」と記してあったのが白かったです。他の島々の方向と距離が記されてありました。

その後、ビジターセンターにゆき、この島の歴史だとか、自然を解説するビデオを見せて貰ったりして、感慨深かったです。
鯨の事に関しての知識も得ましたが、私の計画にホエール・ウォッチングは入れてありませんでしたので、残念でした。


手作りを売り物にしている土産物屋に入って、記念に鯨と海豚の小さな飾り物と、亀の模様のTシャツを買いました。

そのあと、島の料理を食べさせるという店にはいり、亀の肉のお刺身を試し、島寿司と言うものを試しました。

亀の肉のお刺身は、肉の感じで、魚とは違った食感でした。まぁこれは体験として考えます。ハマチの焼き物は美味でした。頼んだお酒は何と「高清水」でした。

店の女の子は、京都出身で、、ダイビングをやりたくて島に来たのだと言うので、若い人の島なのだなと感心しました。

島のお米は全部内地からの輸入なのだそうです。


  

           ポインターを載せてください

        
夕方から、浜でアオウミガメを放流するイベントがあり、みんなが参加。

アオウミガメは養殖所で十一ヶ月ほどに育てたもので、結構大きくなっていました。大きさは写真の程度です。沢山、研究用の標識がつけられていました。これくらいまで育てて放流すれば、生存率が高いのでしょう。

実は小さい亀を放つのだと思っていましたので、驚きました。

砂の上に置きますと、海の方に向かってエッチラオッチラ歩きだします。みんなで「ガンバレ!もう少し!」と声をかけました。

海に入ると、もう勢いよく泳いで、たちまち沖の方へ向かって行き、見えなくなりました。




ポインターを載せてください

夜の船のイベントはタヒチアンダンスでした。男の二人が楽器を演奏し、女性が腰を振って踊ります。
大丈夫かしらと思うくらいに低い位置に腰蓑を着けて・・・・・・。






昨晩はデッキディナーだったのですが、風があったので、レストランで、ブッフェスタイルの大ご馳走でした。
トロピカルフルーツが沢山供されて、その中でも「マンゴスチン」は美味でした。

朝は例の通りのセルフサービスのブッフェ。

卵料理はオーダーします。オムレツの具は選んでつくって貰います。毎朝、百個以上のオムレツをつくるとかで手慣れたものです。
他にサニーサイドアップでもターンオーバーでも卵を焼いてくれます。

勿論、ハムやソーセージ、チーズ、そしてスープもあります。

これに、ミルクとシリアルかクロワッサン、またはトーストと選べるのがいいです。

あまり食べると良くないでしょうから考えます。


東京都指定無形民俗文化財・南洋踊りが岸壁で披露されました。

私たちの乗ってきた客船をバックにして見せますと言うサービスでした。

歌は全く意味のわからないミクロネシアの言葉のようでした。

この島に最初に住み着いたのは五人の欧米人と、十五人のハワイ人だったということです。

ミクロネシアの人々との交流が、この「南洋踊り」となって残っているのですね。

他にもKAKAと言う楽器や 小笠原太鼓など島独特の芸能があるのでした。









境浦です。

ここには七隻くらいの艦船が沈んでいるとのこと。そのうち、1944年魚雷攻撃で沈没した濱江丸の赤錆びた船体が、沈んだままで残されているところでした。

波の静かな入り江に、こうして残されている戦争のあとを見ると、今更ながらにあの戦争の無意味さを思わせられました。

そしてこの島の長い苦労を思わされるのでした。





ポインターを載せて下さい

小港海岸です。沢山の珍しい島独自の木々が防風林になっているとか言うところを抜けると、真っ白な砂浜に出ました。

そこにいたこの鳥はイソヒヨドリだそうです。

この島に持ち込まれた山羊が野生化して繁殖しているそうで、砂浜に沢山足跡がありました。

自然の植生を乱すので、駆除する方向に向いているそうです。

ポインターで出るのは海岸の岸壁・枕状溶岩が不思議な模様を描いていました。この枕状溶岩のあちこちに、戦争時に使った銃眼があいていたりして驚かされました。


   
珊瑚のカケラががらがらとあったところとは違って、本当に白砂です。そして青い海は例えようもない美しさでした。

この島での「海開き」は、一月一日だそうです。
「海を閉じる日」はないのだそうですから、一年中海で遊べることになります。
マリンスポーツのメッカですね。

ここの海岸には車では近づけません。 防砂林となっている、樹林をぬけて入ります。その木々も、四季がはっきりしませんから、同じ木でも落ち葉をしているのがあったり、新芽をふいたりしているのが珍しかったです。

[上へ戻る][目次ページへ]