まずは横浜・・・・。 |
乗船して父島へ | 父島で |
父島を離れる |
宮の浜と言う父島の一番北側の浜です。珊瑚のカケラが沢山打ち寄せられていました。 海中には、珊瑚が沢山生育していて、お魚が多く棲息しているので、スキューバダイビングには最適だとの解説でしたが、勿論私たちはアウトです。 この浜は、太平洋戦争当時、特攻兵器の「震洋」・ベニヤ板張りの爆弾ボート・の基地で会ったところだそうでした。 感慨深く眺めて、大村海岸に戻って、ツアーは終了です。約二時間でした。 |
父島のメインストリートは埠頭の周りにあるだけです。 おみやげ物や、マリンスポーツの用具を売るお店が並んでいますが、閑散としていました。大型観光船が入ると、それを歓迎し、連絡船・小笠原丸が入港したときだけが、賑わうような感じの町でした。 まず市役所を訪ね、その前にある表示板を見ました。東京都に属している島なのに、矢印に「東京」と記してあったのが白かったです。他の島々の方向と距離が記されてありました。 その後、ビジターセンターにゆき、この島の歴史だとか、自然を解説するビデオを見せて貰ったりして、感慨深かったです。 鯨の事に関しての知識も得ましたが、私の計画にホエール・ウォッチングは入れてありませんでしたので、残念でした。 |
夜の船のイベントはタヒチアンダンスでした。男の二人が楽器を演奏し、女性が腰を振って踊ります。 大丈夫かしらと思うくらいに低い位置に腰蓑を着けて・・・・・・。 |
昨晩はデッキディナーだったのですが、風があったので、レストランで、ブッフェスタイルの大ご馳走でした。 トロピカルフルーツが沢山供されて、その中でも「マンゴスチン」は美味でした。 朝は例の通りのセルフサービスのブッフェ。 卵料理はオーダーします。オムレツの具は選んでつくって貰います。毎朝、百個以上のオムレツをつくるとかで手慣れたものです。 他にサニーサイドアップでもターンオーバーでも卵を焼いてくれます。 勿論、ハムやソーセージ、チーズ、そしてスープもあります。 これに、ミルクとシリアルかクロワッサン、またはトーストと選べるのがいいです。 あまり食べると良くないでしょうから考えます。 |
東京都指定無形民俗文化財・南洋踊りが岸壁で披露されました。 私たちの乗ってきた客船をバックにして見せますと言うサービスでした。 歌は全く意味のわからないミクロネシアの言葉のようでした。 この島に最初に住み着いたのは五人の欧米人と、十五人のハワイ人だったということです。 ミクロネシアの人々との交流が、この「南洋踊り」となって残っているのですね。 他にもKAKAと言う楽器や 小笠原太鼓など島独特の芸能があるのでした。 |
境浦です。 ここには七隻くらいの艦船が沈んでいるとのこと。そのうち、1944年魚雷攻撃で沈没した濱江丸の赤錆びた船体が、沈んだままで残されているところでした。 波の静かな入り江に、こうして残されている戦争のあとを見ると、今更ながらにあの戦争の無意味さを思わせられました。 そしてこの島の長い苦労を思わされるのでした。 |