9月23日 |
バーツラフ広場 |
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ウイーンには行ったことがありましたが、チェコ・ハンガリーは初めてです。東欧は共産圏としてしか認識していませんでした。以前、東ベルリンを訪ねるツアーに参加を申し込んだときがありましたが、参加者が少なくて駄目になり、代わりに何と「ロマンチック街道」を薦められ新婚カップルの中に、たった一人(主人から連休を貰いました)で参加したことがありました。これも面白かったですよ・・・。
今回は、9/11テロから程なく9/22日出発です。成田はガラガラの状態でした。
このバーツラフ広場は「プラハの春」の舞台になった場所。札幌の大通公園を大きくしたような形で遠くに国立博物館があり振り向けば火薬塔が見えます。朝早かったので少し霧がかかっていて見通しが悪いです。
その昔、優秀な機関銃を製造した「スコダ」社」(今は自動車製造)のビルが目前に立っています。
チェコグラスの店が沢山ありました(当然!)。この周辺にはアラブ人が多く住んでいて、9/11テロのあと警備が厳しくなったとかで、警官が多くパトロールしていました。
プラハ城に登ります。霧がかかっていて展望はいいとは言えませんし、写真もまだ馴れない状態でしたので、こんな有様ですが、約4百の教会があるとかで、百塔の街と言われる景観は雰囲気があります。
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王宮からの百塔の街 |
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プラハ城と言っても、城主が住むところではなく、今日では大統領の執務するところです。城門には衛兵が立っていました。城の区画の中に、宮殿、聖堂、教会、修道院がありと言うことで、壮大な建物群に圧倒されました。
王宮の歴史は複雑で、とても一言では書けるようなものではありません。「正義は勝つ」というチェコ語の書かれた旗がかかげられていました。
これらを囲むように小さい長屋のような家が並んでいます。王が凝っていたという錬金術の実験場で、黄金小路と言われています。
ここにかのフランツ・カフカが住んでいて「変身」を書いたそうです。いかにも変身を書きたくなるような雰囲気があります。
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王宮の岡を下ってカレル橋に行きました。9/11テロのあった所為でしょう。いつもは沢山の観光客がぞろぞろと歩いているこの橋も静かでした。堂々と流れるモルダブ川(モルダウ)です。この橋は五百十米もあり、十世紀ころには架かっていたそうです。
橋の欄干には三十体に登るキリスト教の聖人の像が並んで立っています。その傍らで、アコーデオンを奏でているおじいさん。いつもは観光客と一緒に写真を撮ったりするのでしょうが、今日はポツネンと坐っていました。連れていってくれた人の話ではこんなにゆっくりと
橋の上で人に邪魔されないで写真が撮れることは、マァ無いことだそうです。
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下にあるのは仕掛け時計です。
聖人の石像のうち、これはお名前は記憶
の外になりましたが、手をあててお祈りを
すると、その願いが叶うと言われている像
が一つありました。
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手を当てる部分は銅が現れて光って見えます。私もお願いをしました。こんな状態でした。お願いの内容は人には言わないこと!だそうです。
この街の約四百の教会は殆どがカトリックですが、皆が信者と言うわけではなく、冠婚葬祭のためのものみたいな部分もあると言うのが、若いガイドの話でした。それは日本も同じでしょう。
教会を維持するために、それぞれ催し物(演奏会などが主です)を開いたりしているのだそうです。
旧市庁舎前の広場で正午を告げる仕掛け時計を見ました。
骸骨が持っている砂時計を倒すと言うものですが、一瞬にして終わります。時間の冷酷さを示すのでしょうか。
昼食を摂ったレストランは、モルダウの洪水や地盤沈下を手当するために地下を掘ったら現れたと言うローマ時代の地下遺跡にあるお見せでした。
マスターが自慢そうに説明のカードをくれましたが、チェコ語ですので、ちっともわかりません チンプンカンプン・・・・。
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