茫茫漫遊記 宝塚・神戸・広島・瀬戸内紀行
 
       
   
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因島大橋を渡り向島へ、尾道大橋を渡って尾道へ入ります。尾道は歴史的にも、文学の舞台になったりしているところですが、今回は通り過ぎて、福山市鞆の浦へと直行します。

鞆の浦は、説明に由ると瀬戸内海のほぼ真ん中に位置し、いくつもの海峡を流れる潮は干潮から満潮まで鞆ノ浦へ向かって流れ込み、流れ出るところになっているのだそうです。

大阪に上る船も、九州へ下る船も、満潮、干潮の潮待ちの港だったのです。
夕食の食前酒はこの地方の「保命酒」と言う少し薬のようなお酒でした。

朝、八階の窓からみる瀬戸内のひろく穏やかな海と島々の上の日の出はやはり絶景というべきでしょう。見飽きない情景でした。
 
 

朝食後、今日は倉敷を通過して長島愛生園へと言う予定です。鞆の浦の名所を少し見せて貰いました。
 このような潮待ちの港が、瀬戸内に幾つかあるそうですが、鞆ノ浦には朝鮮通信が十二回のうち十一回も立ち寄っていたとのことです。石垣の上には鞆に寄港した朝鮮の正使・副使・従事などの宿所に当てられた寺・福禅寺がありました。
 鞆の浦は大伴旅人が歌を詠んだり、坂本龍馬、隠れキリシタンの里、村上水軍や足利尊氏ゆかりの地なのでした。宮城道雄のあの春の海”が作曲された風景なのだそうです。


 
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 江戸時代さながらに残る家並みを通して港を見ると、江戸時代の重要な港湾施設の常夜灯があり、。いまでも船着き場の雁木がそのまま残されてありました。朝早くとおりましたが、道は昔のまま狭く続いていました。
 この港に架橋の話がでましたが、住民の反対で裁判にまでなって中止になったのは、最近の話です。この情景が失われることのない様に願います。しかし、狭い狭い道を観光バスや、路線バス、通勤の自家用車達が混雑を託ちながらの生活をしているのですから住民の不便は大変だろうとも思いました。

 
   



坂を登っていくと、鞆の浦を見おろすところ沼名前(ぬなくま)神社があります。この神社は「鞆祇園宮」として「大渡津見命」海の神様(海辺の神社は大凡この神様)と、「須佐之男命」が祭神でした。
境内はきれいに掃き清められています。。
   
一段下がったところに秀吉の造らせたと言う能舞台もありまし鞆の浦の歴史の重厚さを感じさせられました
     

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