茫茫漫遊記 佐渡 紀行
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加茂湖畔のホテルである。加茂湖は以前は湖だったが海とつながって、汽水湖となっていて、沢山の牡蠣筏が浮いていた。千二百だとか・・・。 |
日本海は曇りであった。新潟着十二時五十八分。 タクシーでジェットフォイルの乗り場へ行き、待合室の食堂で昼食を摂る。 ジェットフォイルは最高時速八十キロだそうだ。殆どの席がうまっている。一時間十分ほどで両津港につく。今夜の宿・のバスが迎えに着てくれていた。 ここでは露天風呂が屋上にあって、全くの露店。試してみることにして屋上に上ると、一人先客がいた。まぶしいほどの青空のもとで一望、加茂湖が見渡せる。カモメが飛びめぐる。加茂湖から、柔らかな風が吹き上がってくる。なんと心地よく珍しい露天風呂であることよ。ここではシャンプーも石鹸も使えない。加茂湖の水質を悪くするから流されないのだそうである。夜は満天の星を見ながらの入浴なのだろう。湯質はアルカリ単純泉。透明なのだが、肌にぬるぬるとした感じがする。 、 |
ゆっくりと夕食を摂る。紅ズワイガニ一杯・鰺の塩釜焼に烏賊そうめん、牡蠣の土手焼き、蟹の卵蒸し、その他もろもろ・・・・。野菜は煮物一皿だけ、そしておどろいたのは、柿のシャーベットであった。 |
九時から、佐渡の民謡などの踊りをフロント近くのロビーで見せると言うので出かけると、 かなりの年配の女性が男ぶりの踊りを見せた。佐渡おけさや両津甚句などを踊った。観客は少なかった。 |
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佐渡は人口・六万三千人だが、年々減少しているとのこと。以前は一市、七町・二村だったが、合併により全部が「佐渡市」となりました。東京二十三区の一.五倍。淡路島の一.五倍で沖縄本島に次ぐ大きさの島であるとか。解説を聞きながらのドライブです。大佐渡と小佐渡と言う山を両側にみて大きな田園地帯が広がっていた。 最初に北一輝の成果の前を走る。「北一輝の生家」と言う標識が懸けられていました。町並みの中のさもない普通の家でした。。 |
北 一輝(きた いっき、本名:北 輝次郎(きた てるじろう)は一八八三年四月生。戦前日本の思想家・社会運動家で、中国の革命運動に参加し中国人革命家との交わりを深めるなかで、中国風の名前「北一輝」を名乗りました。右目は義眼。このことから「片目の魔王」とよばれました。 |
一九二三年刊行の『日本改造法案大綱』が右翼のバイブルとして読まれました。 宮内省怪文書事件で逮捕されたことがあります。 そして二・二六事件の理論的首謀者とされ、一九三七年処刑されました。 墓地に案内してもらったら、「昭和二十一年の大赦令によって無罪になった」という説明が書かれた標示版が両津の教育委員会によって平成三年に立てられてありました。 時代が移って、彼の名前を知る人もお少なくなったのでしょう。訪れる人は稀だという事でした。 四方は稲田が青々と広がっていて、我々の「佐渡島」と言うイメージはすっかりちがっていたことに気がつきました。冬は高い山には五〜六メートルの雪が積もるが、平地では三十糎くらいだとのこと。それもすぐとける。高山からの雪解け水で水量豊富なので稲作も盛んで、米は島からその収穫した米の三分の二くらいが新潟コシヒカリとして売りに出されているのだそうです。 |