茫茫漫遊記 アラスカ紀行編
 シアトルから
 バンクーバーから
 ジュノーから
 スワードから 
  バンクーバーへ  アラスカ州 ジュノーへ インランドパッセージ      航行 アンカレッジ・ 帰国





海岸線を北上すると、カナダとアメリカアラスカ州との国境の灯台がありました。カナダの国旗がひるがえっています。


ここを過ぎますと、海もアメリカアラスカ州になるのです。
インランドパッセージです。左舷側にも右舷側にも島があり、陸地があって、その間を船は進みます。

陸地の間ですから、海だと言ってもとても静かです。それにクルーズ船ですので、ここはゆっくりとすすむことにし
ているのです。




ちょっと激しい雨が降ってあがりました。
海からまっすぐに虹が立ち上がりました。



海への落日です。北国ですから日没時間は
10時16分
なかなかいい感じには撮れないものですね。


べらべらと言うカナディアンインディアンの村落を見て船は進みました。トーテムポールの立っているのがみられるかも知れないという説明でしたが、人影も見られませんでした。

下からでる緑の森林の写真・殆どが米杉と言われる杉です。
その中でチョビッと白い点々が見える筈です。それは白頭鷲です。苦心の撮影でしたが、こんな風になりました。

お笑い下さい。



ポインターをのせで下さい




ミスティフィヨルド、パンチボールコープ・クラーレンスストレートなどなど、いろんな名前のある、入り江を出たり入ったりしながら航行します。

フィヨルドですから、海面はまことに静かな鏡です。右、左の島々の崖から落ちている細い滝、小さなボートはそのすぐ下まで近づいていました。

フィヨルド観光の基地として有名なケチカンは港を見ながら通り過ぎました。


ポインターを載せて下さい。


ポインターを載せて下さい。


ケチカンの港からは氷河観光。フィヨルド観光の水上飛行機が飛び立ちます。水上飛行機の駐機場がありました。航行中、何度も頭上を水上飛行機が飛びましたし、フィヨルドの名勝では着水していたりして、山育ちの私はめずらしがりました。


ケチカンはこの辺の観光の基地ですから、港には大型の観光船が四隻も停泊していました。

夏はアラスカ観光に好適な時期なのですね。

画像にポインターをのせてみて下さい。


まずはクジラの背中です。


ポインターを画像にのせてみて下さい。クジラがはねます。





スノーパッセージと言うこのあたりでもクジラが多いというところを通り、クジラがあちこちで潮を吹いて出現するのを、機関室から放送されますと、写真を撮ろうと乗客は右舷に左舷に移動して、走り回りますが、放送された後では、もう見えなくなってしまっていますから、なかなかうまい写真は撮れません。

上の写真は偶然の傑作!デジカメで撮れたのですから嬉しいです。背中が出て飛び上がってがちゃんと撮れていたのが嬉しい。この他はしっぽが撮れただけでした。


この後、ポイントアドルファス周辺でクジラやラッコの現れるのをみて、一旦外洋に出て、船に溜まっていた汚水を捨てます。いままで通ってきたインランドパッセージでは、捨てることができないのでした。


ジュノーにつきました。ジュノーはアラスカ州の州都です。アメリカがアラスカ州をロシアから買い取った後で、最初につくられた街がここだったのです。アラスカで金鉱が発見されたあとの最初の街でもありますから、当時の金取引で賑わった酒場などがあって、当時の雰囲気もありました。ロシアの名残があってロシア正教会があったりしました。

ここは州都なのですが、陸上交通で他の町へつながる道路がなくて、フェリーが頻繁に運航されていて、何をするにもフェリーだという信じられないような場所でした。まずは、ここでホエールウォッチングに参加します。深く入り込んだ湾内はしずかです。



白頭鷲です。



ホエールウオッチングの船はひろい湾内を巡ります。波は静かで快適です。
クジラがあちこちで潮をふいています。
写真は撮らすに観察に徹しました。その代わり、アザラシのハーレムを見ることが
出来ました。このひしめいている有様は驚くばかりでした。


ポインターを載せて下さい。
メンデンホール氷河です。ジュノー市の北21キロの所にあります。
ボート遊びをしている人の大きさと比べて下さい。

この氷河はジュノー氷原から発しています。メンデンホール氷河湖に落ち込む全長19キロの氷河で、河口の幅は2キロあまり、湖からの氷壁の高さは約30メートルだそうです。

この氷河の名前になっている「メンデンホール」と言うのは、1878年に東京帝国大学に迎えられた地球物理学の教授の名前から来ているのだそうです。


メンデンホールが海岸陸地測量局長時代、米国の州境や国境の確定などを行った業績があり、この局長時代の仕事に関連してつけられたのが、氷河の名前なのだそうです。

彼の遺産の一部は日本学士院に贈られて、「メンデンホール記念賞」の基金となっているのだそうですから、驚きでもありました。


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