茫茫漫遊記 アラスカ紀行編
 シアトルから
 バンクーバーから
 ジュノーから
 スワードから 
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シアトル空港内の免税店のディスプレイ。

成田からシアトルへゆき、そこで乗り継ぎをしてバンクーバーに向かいます。成田からの飛行機の隣席には アメリカへ留学するタイの青年が座りました。成田乗り継ぎだそうです。
私は最初にアメリカですから、入国審査がきびしいです。そしてバンクーバーはカナダですから、すぐそのあと出国審査があります。空港の中で待つことになりました。大きなサンドイッチのランチボックスを渡され、空港の待ち時間の間に食べました。 アメリカ入国には ESTA(Electronic System for Travel Autorization)を申請してあれば、入国審査が簡単だと言う話でしたけれど、十本の指の指紋、顔写真撮影と審査官との対話があり、結構な時間がかかりました。それに機内持ち込み荷物のセキュリティ検査もきびしく、鍵ははずして、靴は脱いで、靴もチェックされました。





空港内に免税店がならんでいるのは当たり前でしたが、これはマッサージバーというのでした。あまりしげしげと覗くのははばかられましたが、ドアもないオープンな設定で、仲ではマッサージを受けている人が心地よさそうに目をつぶっていました。勿論着衣のままですが、日本で見られるようなマッサージ機ではなく、人間のマッサージを受けているのでした。新聞や飲み物が並んでいて、日本では見られないバーの形に少々驚きました。
日本だったらマッサージ機がずらりと並んでいると言うことになるんではないかしらという感想をいだきました。

シアトルから、カナダのバンクーバーへ行くには、アラスカ航空をつかいます。アラスカ航空のジェット機の尾翼には原住民の顔が描かれていました。でも私が乗ったのはプロペラ機でした。2時間足らずのフライトです。
私の席には八十八歳と言う老女が間違って座っていましたが、そのままでいいですよと言って、譲ってあげました。この女性は一人旅。バンクーバーからクルーズ船に乗るとのことでした。「あなたは未だ若いわ!」と言われて、少し嬉しくなりました。家族のことなどで話が弾みました。






バンクーバーのダウンタウンをスタンレー公園側から望みます。
ガイドは日本の3世で、祖父の時代にバンクーバー来た山口県にルーツを持つ男。父は東京浅草から妻をもらい、3年前に死亡したあと、その妻つまり母親は日本に帰ったとか言う話をしました。ドライバーも穏やかな良い印象の男。
面積が日本の26倍あるというカナダは10州に分かれていて、時差が国内で4時間もある広さです。人口は3000万くらいで緯度は樺太程度のところまであるのだとか、穏やかな平屋建ての住宅は高騰していて、一億円以上するとか。
バンクーバーは、日本の2倍の面積があるブリティッシュコロンビア州の州都。200万人位。トロント・モントリオールに次ぐ。香港が返還されたとき、そこから移住してきた財産家の中国人が多いといいます。美観を大切にしていて、いろんな制約があり、洗濯物は外に干さないとか、ゴミ収集は一週間に一度、雪は自分の家の前の道路の雪を掻くことになっているとか。寒いから、掃くと言う表現をしたのはやはり違う。きれいに芝生も手入れされて、美しくととのえてあります。
税金は高くて全部で給料の三分の一くらいは税になると言いました。中心街・ダウンタウンはマンションの林立。ほとんどがマンションです。ワンベッドルームのマンションで10万から15万円の月家賃だそうでした。

バンクーバーを流れる大河・フレーザー河は紅ザケがのぼる河です。また、この国の主たる産業は林業で、米杉の大木がある。紅ザケの遡上が河川の栄養源ともなり、林業を助けるのだとか。、緑の豊かな国でした。

チャイナタウンは赤の洪水。門からはいるとすべてがあかくて落ち着かないけれど、中国人はこれが幸福の印なのだとか。この街にチャイナタウンがあるのは、大陸横断鉄道の工事に入って来たのが最初であって、横浜の中華街にも似た繁華さです。

この国の労働時間は午後6時頃でおわるのだそうだですが、夏は11時頃まで明るいのです。そして冬は3時頃から暗いのです。それが良いのか悪いのかはそれぞれ。車の無い生活は考えられないところと言う感想でした。。








冬季オリンピックで灯された聖火台でした、
ヨットハーバーにはマストが林立しています。
近くの浜辺にデンマークの人魚姫の像に似た少女の像がありました。頭にカモメがとまっていたこの像はウエットスーツの少女です
これは港の街であることのシンボルなのだそうです。

「ニルスのふしぎな旅」に出てくるカナダガンが沢山遊んでいった。北国なのですね。

この町の発祥の地といわれている古い街ギャズタウンはジャズフェスティバルで通行ができませんでした。トロリーバス・電車・ジーゼルバスなどの交通機関があり、空港から市街地へは無人電車です。25分くらいでダウンタウンにつくそうです。これはオリンピックの前にできたもので、オリンピックがもたらすものは大きいと今更ながらに思いました。



市内を回る観光用のバスの様でした。可愛い。




こは港でも繁栄しているところでした。船の停泊しているのを望む公園にカナディアン原住民の作ったトーテムポールのたっているところがありました。原住民の姿をした女性と一緒に写真を撮りました。カナディアンインディアンは政府の保護も受けていて結構楽な暮らしをしているとのこと。狩猟などにも格別な特権を与えて居るという。今でも大木の米杉でトーテムポールをつくったりしているそうでした。











スタンリー公園・周囲3キロとか。米杉の大木が林をなし、自然の姿をそのまま。野動物もいるというから凄いです。アライグマがいるけれど、危ないから手を出すなと言われましたが、信じないでいました。すると、本当にあらわれたのには驚きました。この自然の中には他にも、鹿やラクーンなどもいると言うことでした。

市民の夏の夕方からの憩いの場。冬はスキー場がライトアップされ、またラグーンに自然のスケート場ができるという環境です。寒くてもそれぞれの楽しみ方があるのだなと思いました。

右はライオンズゲートの吊り橋。この大吊り橋は、最初ギネスの一族が個人で作った橋だったそうです。さすがギネスです。今では管理は市にうつっているのだそうです。1600米の大吊り橋。








ちらとバンクーバーを見て、港へ行って乗船です。何隻がクルーズ船が停泊していました、今ははアラスカがいい季節なので、クルーズ船が多いのですね。シアトルからの飛行機で並んで座った八十八歳の婦人が乗ったのはどれだったてしょう。

ライオンズゲートの吊り橋をくぐって出港です。

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