茫茫漫遊記 サハリン一日紀行


           
 函館から小樽へ  コルサコフ・
ユジノサハリンスク
小樽から三沢へ    三沢

青森県・三沢に着きました。
以前にここへ来たのは、寺山修司記念館を見つためでしたが、今回は 古牧温泉に泊まる為でした。

降りて驚きましたが、駅に迎えの小型バスが来ていたのです。乗車して5分くらいで、温泉につきました。
この前には気がつきませんでしたが。この町は温泉の町だったのですね。それも大きな・・・・。

娯楽・保養のための大センターなのでした。

夜になっていましたので、すぐに夕食をとらねばなりませんでした。

夕食もバイキングスタイルで大変でした。初めてのたいけんでしたが、大きな温泉は、町が一つ屋根の下にあるような感じで、度肝を抜かれました。







ここの目玉は温泉もすごいですが、この渋沢栄一の記念庭園があることで感動させられました。
渋沢栄一・敬三 親子の功績を称えて、この温泉を開いた人が
渋沢栄一の邸宅をそのまま移築して造った大庭園です。祭魚洞庭園といいます。


中には。渋沢神社があり、渋沢栄一、敬三の銅像が建っていました。これは朝倉文夫の制作によるものでした。

古牧温泉を開いた杉本行雄が渋沢家に仕えた縁で、渋沢栄一、敬三父子に対する敬意をここにあらわしたものだと言います。

温泉施設の凄まじいまでの喧噪とは打ってかわり、この庭園は静かで、落ち着いたものでした。

維持管理は今日では、市の方からも援助されているとのことでした。

今は内部の公開はされていませんでしたが、来年あたりからまた、公開されるとのことでした。






 


庭園を囲んで木々が茂りあい、別世界のような雰囲気があります。

渋沢邸宅の庭には、ヤマボウシが赤い実をつぇていましたし、草むらには萩の花が咲き出していました。

われわれの他にみる人もなる、そぞろ歩みをしつつ、渋沢父子の業績と、こうしてまで顕彰される高潔な人格に思いを馳せました。



富蘇峰 幸田露伴 の渋沢栄一伝が掲げられてありました。

明治時代から、急速に近代化した日本の経済界を主導的に動かしていた人であることは、誰もが知っていることです。

それにしても、こうして文学的にも、巨人である二人の記述を見ると、今更乍らに渋沢栄一の偉大であったことがわかります。

その父子を顕彰する杉山行雄と言う人に感心しました。





  

広大な祭魚洞の一隅に

天の夕顔」の作者である、中河与一の歌碑がありました。

中河与一の歌碑は沢山あるそうですが、これはその11番目のものだとありました。

 
「年毎の 河童祭は 楽しけれ
    世外の人の 集る一日」


と書かれてありました。





三沢の駅です。
この前来たときは気がつかなかったのですが、こんなこけしが並んでしました。

こんなところに飛鳥時代の伝説があったなんて想像が出来ませんが面白いと思いました。

この辺りに「古比類巻」と言う非常に珍しい苗字があると聞きました。
古代の伝承があるとか言うことでしたが、はっきりしたことはわかりませんでした。

[上へ戻る][目次ページへ]