函館から小樽へ | コルサコフ・ ユジノサハリンスク |
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宇宙飛行士 ガガーリン |
同じロシアでも、サンクトペテルブルグなど、ヨーロッパロシアと極東ロシアは雰囲気が違いました。カムチャッカもロシア、樺太もロシア、イルクーツク・バイカル湖・シベリアロシアもまた違います。本当に大きな国土です。これが同じ国かと思うほどの違いですね。つくづくとその大きさの違いを考えさせられます。「大きいことはいいことだ」と言うコマーシャルソング(チョコレートでしたか?)があったと思いますが、やっぱり適当な大きさが一番、 日本なんかは地上に国境がないので、纏まっていられますね。教育勅語一つで心が纏まってしまっていたのですから・・・・。やや危険性もあります
けれど、意思の疎通が容易くて、暮らしやすい国というべきでしょうね。これは私の独断でしょうか。
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たしかレーニン通りといったような気がします。車がたくさん通っていましたし、通行人も多くて、写真を撮ろうとしたのですが間に合いませんでした。 ガイドが何もものを言わない(言えない)ので、わからないままに通り過ぎました。 レーニン広場は工事中で、通れないと言うことは言いましたが、日本時代の建物も多分もっとあったと思うのですが、一言も解説なして街のなかを通り過ぎてしまいました。情けなかったです。 ユジノサハリンスクは人口18万。碁盤の目状に造られた街です。 |
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西欧風なレストランで食事でした。これだけはとても良かったです。食べ物に貪欲だからではなく、以前にカムチャッカや、イルクーツクへ行ったときに比べると、豊かになった感じなのです。 コケモモのジュース、前菜、ピロシキ、ボルシチ、大きなサーモンにマッシュポテト、ボルシチも味が良かったです。ビールも、まぁまぁの味でした。 木苺のジャムを添えたデザートまで でました。 「ロシアが体制が変わって豊かになったのだろうよ」と、言う人がいましたが、そうなのかも知れません。 |
驚いたことに、食事をしたホテルのロビーにはヤマハのピアノが置いてあり、自動演奏をしていました。 このホテルはまったくウェスタンスタイルでした。そうですよね。ユジノサハリンスクは、サハリン州の州都なのでしたから・・・・。 ユジノ(南)サハリンのスク(街)と言う意味があるのだそうです。 日本の時は「豊原」でした。 サハリンは寒いところだと言う先入観がありましたが、このは、シベリアなどと違って暮らしやすいところのようでした。 |
ここの売店で、ロシア民族衣装の小さな人形を買い
ました。民芸品がたくさん売られていました。 |
ロシアのお土産を買うようにと言って、スーパーマーケットに立ち寄らせられました。私はウォッカなんかは買う気もありませんし、ロシアチョコなども要りませんので、覗くだけにしましたが、中にはお酒やお菓子をどっさりお土産に買う人もいましたけれど・・・・。 下から出てくるのは、このスーパーにの真ん前で、野菜を売っている土地の人がいたことです。道路の端に屋台店を出していました。新鮮野菜なのでしょうが、スーパーの目の前と言う設定が面白く思われました。 |
1930年に建立されたと言う 旧樺太庁舎は 郷土博物館として、ユジノサハリンスク市にあります。堂々とした建物で、現在まで補修されながら使われているのでした。
展示されているユジノサハリンスクの歴史や文物は、日本の統治で盛んだった時代・昭和13年の地図だとか、ヤマハオルガンやセイコウシャの時計。家庭の神棚等、雑多な展示物がならんでして、足がとまりました。 国境石なども展示されていて、地上に国境のあった時代に思いが至りました。 前庭には、どうした訳か知りませんが、墓石が幾つかたっていました。ロシアの人々にはタダの石にしか見えないのでしょうが、とても異様に思われました。 |
コルサコフの展望台から 日本丸を望みました。 ご覧のように貨物のクレーンと 並んで停泊しています。 |
3年ぐらい前の建立だそうです。 朝鮮系とおぼしきガイドが 見せたがった慰霊碑は 強制連行された 朝鮮人の慰霊碑でした。 展望台にたっています。 |