茫茫漫遊記 皆既日蝕体験編

秋田空港から始まる旅
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この画面をクリックして下さい。日蝕のときの様子が出ます

朝、7時、ホテルから漢族場所のある同里湖大酒店前の生態広場と言うところへむかいます。
私たちが一番早い到着みたいでした。すらりとならんだ椅子もありましたが、湖畔の草の上の方が気持ちがいいので、そこに坐りました。

天候は運悪く天気予報がぴたりと当たったみたいでした。ここでの皆既日蝕時間は6分弱。ホテルの庭ですから、庭園灯がついているのですが、その時間には消されました。とにかく真っ暗です。雨が降っていますから、その暗さは喩えようもありません。
写真を撮ると、まるで感光したものみたいに見えるでしょうから小さな明かりをいれ、また窓のかすかな明かりをいれて撮しました。


       寒 山 寺

皆既日蝕の暗黒を体験してから、蘇州観光でした。心は悔しさでまだ暗黒、そして雨が降っています。雨はやみそうもありませんでした。
皆既日蝕の恐ろしいまでの暗黒の6分間を体験した後溜息をつきながら、昼食をとって、寒山寺に向かいました。
昼食の料理店で、民俗楽器ピーバ(琵琶)にあわせて歌う女性がテーブルに来て、お世辞でしょうね。日本の歌を歌ってきかせました。演歌です。ただし、京劇のような甲高い声でした。定額チップが一曲30元でした。

寒山寺の前でバスを降りたら、「10元!10元!・・・。」と傘売りが寄ってきたので、折りたたみ傘を購入しました。プイッと代金を受け取って、シェシェ(謝、謝)もなし。それはそうでしょうね。私の方が有り難かったのですから・・・。














     
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    楓橋夜泊」で知られている、寒山拾得ゆかりの、寒山寺を訪れました。沢山の観光客がとぎれなく続いていました。雨は音をたてて降りしきっていました。
下から詩碑が出ます。


 

    
                    

寒山寺の5重の塔です。ポインターで下から出るのは鐘撞き堂です。観光客がみな傘をさしていますので、がっかりです。

「楓橋夜泊」
   月落ち烏啼いて霜天に満つ
   江楓漁火愁眠に対す
   姑蘇城外の寒山寺
   夜半の鐘声客船に到る


この詩によって有名なので、ガイドの陳さんにきいたら、中国でもこの詩は有名で、小学生からみな教わるとのこと。ついでに中国語で吟じて貰いましたが、日本語の音調とは全く違っていました。

お寺の土塀は黄色が鮮やかでした。














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    虎 丘



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ザンザン降りの雨の中を、10元で買った傘をさして、バスから歩きです。傘は確かに10元の価値はありました。頭は濡れずに済みましたから・・・・・。スラックスは膝下までびしょ濡れ、シャツも背中までびしょ濡れです。 

天気がよければ、みどりの小さな丘の上に立つ虎丘塔ですから、歩くのもいい気分でしたでしょうが、残酷物語みたいな状態でした。
 
春秋時代に呉の国王・夫差がこの虎丘に戦争で亡くなった父王を埋葬しますと、3日後に白虎がその辺に出没していたことが伝わったことで、ここを地を虎丘と呼ぶようになったと言います。またこの丘全体が虎がうずくまっているように見えるということでもあります。

                    

別名雲岩寺塔。八角形で七層の虎丘塔は煉瓦で建てられ高さは47.5メートル、15度くらいも北へ傾いています。
唐代大詩人・蘇東坡のお気に入りにだったそうです。
蘇東坡は この虎丘を称えて 
  「到蘇州不遊虎丘者、乃憾事也」
 「せっかく蘇州へ行ったのに虎丘を
  訪れないのはもったいない」
といった意味の名句を残してあるそうです。

そう言われても私たちは雨の中です。10元の傘はそれなりの役にしかたちません。
丘のうえまで不揃いの石段を登り、坂をのぼり、また坂を下り階段を下りの行軍。子供だったら「あ〜ん。あ〜ん。」と泣き出すだろうなと、大声で「あ〜ん。あ〜ん。」と叫んでみてもその声が雨音で消されてしまうような有様の中での観光行軍でした。
晴天だったらきっと素敵な場所だったのでしょう。これもまた、印象深い虎丘でした。
 












     


    
    
                    















     

バスは一路上海へ向かいます。
みんな日本では体験したことのない びしょ濡れ 状態です。上海に入って、お茶を売る店に入って、着替えをしてほっとしました。着替えをさせてくれたお礼みたいに、いろんなお茶を買いました。

夕食は黄浦江に浮かぶ船のレストランでした。内容はいつも同じいわゆる回転円卓を囲んでのお料理です。船ですからやはりゆらゆら揺れて不思議な感じでした。
    

    


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オプションで上海雑伎団を見にゆきました。8時すぎからの開演です。楽しみました。着替えもして、少しばかりのアルコールで気分がさっぱりしていましたから・・・・。

それよりも この雑伎団のショーをみた劇場は、孫文の妻であった宋慶齡の住んだ邸宅であったということでしたので、少々驚きました。
孫文だの、宗美齢だの蒋介石だのと言う名前はすっかり遠いものになってしまっていることを感じました。

楽しんで終わった時も、雨はまだ降っていました。
中国を旅するのが目的でなかった私なのです。目的がアウトになったがっかりがまだまだ尾をひいています
 
         

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