茫茫漫遊記 松山・屋久島・宮島編

松山から始まる旅
内子・大洲
屋久島
広島・宮島


   

屋久島から、夜の間の航海で博多港に着きました。今日は雨が激しく降っています。雨の多いと言われる屋久島は晴れでしたが・・・・。
博多湾に入る前、あの大地震で壊滅した玄海島が見えました。復旧して人が住めるようになったとは聞いていますが、崩壊した斜面がまだ白く痛ましかったです。
港に入ると、格段に大きな福岡ドームが見えました。雨降りですからあまり視界がよくないので、残念でした。
博多から新幹線で広島へと言うことになりました。


広島は大雨した。まず原爆ドームにゆきます。雨の中なので、心はますます暗くなっています。タクシーのドライバーは広島生まれの原爆2世でした。彼はそれを話題として堂々としていましたが、中には隠そうとする人もいるんですよと言いました。遺伝子への影響などはまだはっきりと解明出来ていないわけですから辛い話です。
写真をとりましょうかと言われましたが、ここで苦しんで亡くなった人々の慰霊碑に背を向けて撮ってもらう気にはなりませんでした。

被爆した人々がすっかり老齢となり、亡くなってしまった今、考えることは多いですね。

       

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    厳島神社・下から出るのは舞楽を演奏する高舞台
 

宮島のシンボルのような海の中に立っている鳥居です。
宮島口から連絡船に乗りますと(15分間隔ぐらいに航行しています)すぐ近くを進みます。あの大きな被害を受けた台風でも倒れなかったのは不思議ですが、この鳥居は自らの重さで海に立っているんですというガイドをうけました。干潮の時にはここまで歩いて行けるのだそうです。
ついた日は大変な雨でしたので、ホテルに引きこもり一夜を過ごしました。

一夜明けたら雨は晴れ、観光日和になりました。6時半から厳島神社は開いているとのことで、早朝に食事を済ませて拝観に出かけました。
まだ人出が少なくて、ゆっくりと拝観できます。入り口に満潮・干潮の時間が書いてあり、今日の干潮は7時26分とかあり、そのとき鳥居の下の海に水はありませんでしたが、お昼ちかくなるともう水の中でした。


      




厳島・宮島と言えばこの写真ですね。私にもこんな写真が写せました。

    
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左の写真は清盛神社と下からでるのは宝物殿です。清盛神社は昭和29年に平清盛没後770年を記念して建てられたとのことです。
宝物殿には「平家納経33巻」が目玉で、その複製が飾られていました。舞楽面や楽器など沢山重要文化財が展示されていました。
現代の書の作家(お名前は忘れました)の平家物語の巻物は素晴らしかったです。
この厳島島神社の祭神は「市杵島姫命」「田心姫命」「湍津姫命」だそうですが、何で清盛が仏教のお経本を納めたのだろうかと言うことを思うのです。
それに平清盛は僧形をして入道だったんですよね。そんなことに目くじらたてるのは広い心を持たない私の思いです。これは素直でないことでしょうね。






     

五重塔は、1407年の創建だそうです。宮島に入るとすぐに目につく美しい形です。
千畳閣は1587年、豊臣秀吉の命によって建てられた入母屋造りの大経堂です。工事途中に、秀吉が死去したので未完成のままになっているのですとか。
千畳閣と言う名前になっていますが、千畳の広さはないと言うことでした。丁度、伝統のこども神楽祭りとかでが開かれていました。呼び込みの烏神太鼓から始まり子供神楽が舞われていました。





多宝塔


多宝塔に登る道は「あせび歩道」と名付けられていました。宝物殿の丁度背後のあたりに位置していて、下からは見えがたい塔でした。1523年、建立された美しい塔です。本尊は下の大願寺に遷して祀られているとのことでした。

馬酔木が盛りでした。桜のような華やかさはありませんが、良い風情です。風情だけでなく、鹿が食べない植物だから植えられているのです。奈良と同じ理由です。

鹿があちこちにいて、「角のある鹿は危険です」と言う立て札があちこちにありました。餌も売られていました。

旅はお昼までで終わりです。広島に帰り広島から帰宅します。




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