金 剛 峯 寺 | ||
金剛峯寺って言うのは、高野山総称なんだそうですけれど、その総本山・金剛峯寺です。 元は清巌寺で豊臣秀吉が母の菩提寺として建立したのだそうです。 明治二年に寺号を金剛峯寺として、高野山真言宗の総本山となったのですって・・・。 火災で焼失したものを1862年に再現して建てられたものだそうで、屋根の上に消火用の水桶なんかが設備されています(今では使うことはないのでしょうが) 襖の絵は狩野探幽をはじめとして素晴らしいものがあります。 柳の間は秀吉の勘気に触れた関白秀次が自刃したところですとか。そう思って見ると、雪を被った柳の絵が印象的でした。 |
金剛三昧院の多宝塔 | |||
源頼朝の追善菩提のために、二位禅尼・政子が建立したものです。鎌倉時代のものです。 この寺は禅定院と言う名前だったそうです。鎌倉と高野山とのつながりに大きな役目を果たした寺だと言うことです。 塔は国宝で、内部には金剛界五仏像が安置されていて、その中の大日如来の胎内には源頼朝の遺髪が納めてあると伝えられています。 禅尼となった北条政子はこの塔が出来上がったあとで、没しました。 高野山の観光客はあまりここには来ないのではないかと思いました。静かな寺苑は、人影もなくて咲き初めたシャクナゲが沢山ありました。 |
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女 人 堂 | ||
明治五年まで、女人禁制がしかれていた高野山でした。高野山への登り口は七カ所あり、そのそれぞれの入口にこのような女人のためのお籠もり堂が造られていました。今ではこの一カ所しかありませんが、ここから先は男性だけが入ることが出来ます。女の人はここから御廟を拝してお籠もりをしたと言うわけです。
弘法大師が女人を嫌われたから女人禁制にしていたのではなくて、厳しい戒律のもとで修行をすると言うことに基本があったのでしょう。 この女人禁制がとけたのが、明治五年ですが、なかなかそれまでの風習は抜けなかったようで、女人が住むようになったのは明治二十一年頃からだと言うことです。 今回、この真言密教の高野山を訪ねるまで、内心ここは静かな修行の場と思っていたのでした。高野山、山上でも寺院が多いだけで、普通の生活が営まれる町でした。 |