茫茫漫遊記 永平寺・比叡山・高野山編



 
 
  琵琶湖から比叡山へ    

     日吉大社の日吉三橋・二宮橋     

坂本の町は比叡山への上り道に当たります。
比叡山焼き打ちの三か月後に、信長は明智光秀に命じて坂本城を築かせたのでした。 延暦寺の監視と湖上の物資輸送路を掌握するために建てられたのですが、皮肉なことにこの明智光秀によって信長は殺される事になったわけです。
そんなことはさておき、坂本には沢山の文化遺産があります。その一つがこの日吉大社です。
この近くには日吉東照宮がありますが、そこは日光東照宮を造るときの縮小版の見本としてたてられたのだとかで、国宝や文化財が沢山あります。
この二の宮橋は神殿にまっすぐ通じる橋で、人間は渡られません。この川を渡ると神域で、鬱蒼たる樹林があり、厳かな雰囲気があります。この日吉三橋の架かっている川は清流で、山椒魚がすんでいるとかドライバーが言いました。

 比叡山・東塔  大講堂の前の鐘楼   

時間がありませんし、足が痛い二人ですので、延暦寺三塔のうち、東塔だけの拝観です。麓では終わってしまった桜がまだ沢山咲いています。

伝教大師の御生涯や、比叡山で修行をして名僧(空也上人。法然上人。親鸞上人。栄西禅師。道元禅師。日蓮上人。一遍上人など)の業績やなどを記した絵板を見ながら上ると、東塔の鐘楼です。


最澄が天台宗と大乗戒、密教、達磨禅などを伝えて唐から帰国したことは中国の天台宗を超えた日本天台宗の特色となり、この多様な佛教の伝来によって、比叡山が日本佛教の根本道場となり、ここから先に述べたような名僧がうまれることになったと考えられます。
   比叡山延暦寺東塔・文殊楼とさくら


根本中堂への急な石段の上にあるのが、この文殊楼と言う楼門で、上には沢山の仏像が納められていて、拝観できます。

写真はあまり美しく桜が咲きかかっていましたので横から撮ったものです。優雅な造りで桜が似合いました。この楼門をくぐって、根本中堂に降りて行きます。

拝観者が多いのはどこも同じでしょうが、文殊楼に上るのにも列をなしていて、大変でした。
ゴールデンウィークですので、尚更の人出なのでしょう。

二十年ぐらい前、以前には延暦寺会館に泊まったことがありましたが、
そのころはまだ静かでした。

今は、東塔から、西塔、横川と比叡山の三塔をめぐるバスが走っています。二十年前には歩いた記憶がありますけれど・・・。
比 叡 山 延 暦 寺 ・ 根 本 中 堂

根本中堂は国宝。撮影禁止です。入り口で靴を脱いで、板敷きの回廊をめぐります。

ご本尊とされている薬師如来は伝教大師・最澄上人が東塔の北谷・虚空蔵尾の霊木をもって、自ら刻んだものだと伝えられております。そしてここに法灯を点されて以来、消されることなく千二百年余の年月を過ごして来たという不滅の法灯があります。
その傍らでは護摩を焚いて祈祷を続けている僧が坐っていました。

比叡山では根本中堂のご本尊は薬師如来となっていますが、釈迦如来、阿弥陀如来、大日如来、観音菩薩、などなど多様の仏像を本尊とする仏堂があり、あらゆる衆生を救済・安堵を願ったとする伝教大師の思想があらわされているとのことです。

ここで宗教を論じるつもりはありませんから、これで比叡山を下りることにします。皆さんがそれぞれ考えることでしょうから・・・。

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