茫茫漫遊記 永平寺・比叡山・高野山


 
永平寺へ向かう
   


今日は一日平常通りの暮らしをしました。入浴をして、それから出発です。
秋田駅から、寝台特急日本海に乗りました。大阪行きの列車です。老人の二人ですから、個室を二つ1号室と2号室を使いました。間のしきりは開けられるので、お互いに便利です。個室のついた車輌は一つで、付属しているシャワー室を一回だけ5分間使えるカードをもらえます。
朝まで、グッスリと言いたいのですが、かなりよく揺れます。
5時をまわった頃目が覚めると、魚津でした。海が見えて、蜃気楼が見られるところだと言う広告のある駅を通り過ぎました。
海岸の遊園地つきの水族館?それとも水族館つきの遊園地が望まれ、海に遠く暮らしている私はめずらしく思われ、はっきりと目覚めることが出来たと言うわけです。

 永平寺門前        



 
    
福井の駅から、越前鉄道に乗って永平寺口に行きます。ここからバスの連絡があるのですが、私達はすこしバス時間に早くついてしまったのでタクシーを呼びました。駅前の公衆電話には、国際電話をかけている東南アジア人らしい女性がいて、長話中です。こんな場所に働きに来ているのだろうかと、少し考えました。

さて、永平寺門前はまだ9時ですのでお店も開いていません。考えてみたら、まだ朝から食事をしていませんけれど、老人二人一食くらいは抜いてもへいちゃら・・・。門前のまだ開いていない蕎麦屋兼土産物屋に荷物を預かってもらい、正門参道から通用門を通って、納骨の申し込みをするところへと進みます。

納骨の申し込みは事務的に行われて、戒名と施主の名前などを記入して待ちます。
納骨法要、年忌法要は丁寧に行われました。これはプライベートなことですから省略・・・・。

  



福井県の文化財になっている山門に立つのは四天王です。その内の二体を撮しました。

この山門は三解脱門と言われ、仏門にはいる関門だそうです。この門の楼上には羅漢さんが祀られています。

仏門に入るという程の覚悟もない私達ですから、ただ仰ぎ見ていただけです。でもどうしたわけか、少し敬虔になっていたみたいで、おしゃべりはしないで拝観してまいりましたのよ。


  
 承陽殿 

ここはもっとも大切なところだと言う話でした。
永平寺のご開山・道元禅師のお霊屋で曹洞宗の発祥の聖地とも言えるところだそうです。


ところで、私は禅宗のお寺の檀家として過ごして来ましたが、宗教を深く考えたことがあったとは言えませんでした。ただ習わしとなっているお寺の行事に参加して来ただけだったと思います。私のまわりの人々もみな敬虔な仏教徒と言うわけではないように感じられます。
みな様はどうでしょうか?


新緑の永平寺伽藍

   

仏殿
   


報恩塔(納経塔) 





今回永平寺を訪ねて、はじめて道元禅師のことを勉強させられました。少し手遅れかも知れませんけれど・・・。
3歳で父を8歳で母を喪い、世の無常を感じて13歳のとき、比叡山の横川で出家されたのだそうです。昔の人は早くから自己を見つめ、如何に生きるかを考えていたのですね。
その思想と実践については、浅い知識では解りかねますが、54歳で永平寺でではなく、京都で入寂されました。私は54歳の頃には何を考えていたのでしょうか。恥じ入ります。
道元のひたすらな生き方に感動はいたしましたが私は敬虔な仏教徒と言う生き方が出来そうにもありません。
丁度、中食の時間で、修行僧たちが庫院に出入りしていました。言葉はなく、この打鉦の音に従って行動するのでした。沢山の出入りがありながら静かなものでした。
私達は下山して、山門前の手打ち蕎麦屋で天ぷら蕎麦を食べました。



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