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9月6日 ペドロパブロフスク・カムチャツキー港 | |
アバチャ湾の富士山 ペトロスカヤ丘からのアバチャ湾展望 郷土史博物館 |
この形の山を見ると、富士山を思ってしまうのです。千島火山帯はこの形の火山が多いみたいですが、ととのった形は美しいですね。アイスランドなどは、割れ目噴火が火山台地を形成していたと記憶しますが・・・。
ペドロパブロフスク・カムチャツキーの港は、アバチャ湾の奥にあります。入港した日はまことに好天。湾を取り巻く山並みがくっきりとみえました。
やはり、心がけの良い人間は違うなと、頷きながらデッキに立っていました。
この港は殆ど荒れることがないそうですが、二月から四月までの三ヶ月間は雪風で使えません。雪はあまり積もりませんが、三日ばかり前に降雪があって、山には新雪が見えます。七竃が赤くなっています。カムチャッカ半島の七十%は森林で、榛の木、柳、這い松が主な樹木だとのことです。農業は別荘と称する作業家屋で自家製の野菜を栽培したり、温室をもって胡瓜や茄子などを作るのですが、生業としては成り立っていません。 「カム」は魚。「チャッカ」は薫製を意味すると言う人が 居りました。
この半島が歴史にあらわれたのは1500年頃からだ
そうです。1667年ロシアの探検家セミヨン・デジーニ
ョフによって開拓が開始されたとあります。
昔日は日本の日露漁業が沿岸漁業権を独占して
ここの発展に大きな寄与をしましたが、世界大戦の
あと、ソ連が対外的に開放せず、ようやく1992年
に開かれたのです。
カムチャッカ半島は37万平方キロ。火山が約160
あり、その28が活火山です。この火山群は1996年
にユネスコの世界自然遺産として指定されました。
414の氷河、大小10万個の湖沼群。川は大小
1400本とか。すべての川に鮭が遡上するのです。
クリル諸島(千島列島)を含めて自然保護区になっ
ていて、海岸から20キロ以内には許可無く入れな
いのだそうです。
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ベーリングの記念碑 | |
ベーリングは、ロシア海軍に入ったデンマーク人だそうです。ピョートル大帝の命を受けてシベリアを探検し、ベーリング海峡を発見したのでした。 この記念碑は、大砲の筒に弾丸の様な地球をのせたデザインです。すぐ近くにアラスカとロシアの友好を象徴する記念碑があります。1867年、アメリカのアラスカ州となったところなので、歴史の変遷を実感しました。 カムチャッカでは男は漁業、女は加工会社や銀行などに勤務するのが普通だそうです。年金生活者が多いとのことです。ソビエト時代は本土よりも年金などの収入が多かったので人口も多かったそうですけれど、ロシアになってからは、国全体が同じ程度になったので、人口が減少してきているそうです。収入は月に五百ドル程度なのだそうです。 |
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レーニン像 | |
カムチャッカ州はロシアでは一番東の端にあるわけで、ヨーロッパロシアでは、ほとんど撤去されたレーニンの像が堂々と立っています。シベリア・ロシア沿海州を旅したときにも見かけられて驚きましたが、ここではガイドが「10月革命の指導者の像です。」と誇らしげに解説をしました。全くロシアは広いですね。1971年・ゴルバチョフの時代にできたほとんど最後のレーニン像なのでしょう。
ロシアの政治体制が全土に行き渡るにはあまりにもロシアは広いと思います。
「行こうか。もどろか。オーロラの下を・・。
ロシアは北国。果て知らず。 西は夕焼け、東は夜明け、鐘が鳴ります中空に・・」 の世界です。
とても良いお天気です。ロシアは寒いと寒い用意だけしてきたので大変です。暑いなんて言うことは考えてきませんでした。
この像のあるところから、雪を被った富士山状の山が三つも見えます。暑いと言っても、一昨日はこの山に初雪が降ったと言いましたから、私たちは、大変幸運でした。 |
ロシア正教会 | |
ロシア正教会にゆきました。宗教は麻薬と言われたソビエト時代にはなかった教会ですが、いまでは沢山のイコンが壁面イッパイに飾られていました。教会となった1991年なのだそうですが、建物はとても古いものだと言いました。 ここの宗教は九十%がロシア正教。他はキリスト教、イスラム教などだそうです。 教育はどうなっているのかと尋ねると、カムチャッカでの学齢は六才または七才(親たちが決めてもいい)となっており、小学校三年。中学校五年、高校四年で、原住民の遊牧生活をしている人々は、読み書きが出来るようになる小学校だけと言う人が多いのだそうです。大学はカムチャッカ州に四つあり、日本語を学ぶ大学もあると言う返事でした。 教会はきれいでしたが、周辺の建物の老朽化が激しく、道ばたにあるガレージ?はおよそそんな名前では呼べない程のトタンの囲いで、路もまだまだで、少しメイン道路をはずれると悪路と表現したほうが適当でした。 |