札幌・網走
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カムチャツキー | 釧路・帯広 |
9月1日 | |
今回も老人の旅行をいたします。荷物を船に送って、ほとんど手ぶらの状態で小樽から乗船します。暑くて大変でした。 地震があったり、台風が襲ったりと様々な天災がおこるので、朝に発っても間に合うのですが、一日早く北海道について余裕で船まで行くことにしました。千歳空港について、札幌に一泊。札幌の駅前は私の記憶と全く違ってしまっていました。お上りさんならぬお下りさんなのですが、都会化は進んでいて戸惑うばかりでした。 4年ほど前に小樽に用事があって来た時に宿泊して、北大キャンパスを散歩したことがありましたが、その時の感じとは随分違って感じられました。 今回は朝の大通公園を散歩しました。 朝ですから、途中の道もまだ人通りが少なく(早起きですから・・・)気分がよかったですよ。
公園をお掃除する人々が働いていました。写真を一枚撮っただけでしたが、ここは早朝がお薦めですね。 |
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旧北海道庁 | |
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、 この旧道庁は、今は文書館として開放されています。以前に来たときは、時間外で入館できなかったので、今回は散歩の帰りにゆっくりと立ち寄って見ることができました。 この歴史的建造物も周辺が近代的な建物になっていますので、もっと大きく正面から写真を撮りたかったのですが、叶いませんでこんなふうになってしまいました。今は札幌の人口は140万人だそうですね。 ここの展示で北海道の開発の歴史、アイヌ民族の迫害の歴史などをかなり学びました。(と、言っても常識程度でしょうが・・・) そして、樺太のロシアの侵攻の暴挙には涙をこぼしました。軍備がほとんど無くて、当時30万人いた日本人住民の悲劇のことも詳しく知って涙をこぼしました。軍備があったとしても悲惨なことには変わりなかったのでしょうが、本当にせつなくなりました。
「今頃知ったのか。お前は!」と主人に呆れられましたが、終戦時13才の私でしたので、イイカゲンでした。
恥じ入っています。戦争は絶対にしてはいけません。
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能取湖・厚岸草 | |
小樽出港は午後7時頃。夜の間に宗谷海峡を静かに越えていました。午前中は海だけです。
3時過ぎに網走港へ入港しました。材木が積み上げられている埠頭の近くには「カンドウイチバ」と言うのがあるから、明朝はそこへ行けばいいですよ等というアドバイスを受けました。観光設備は全部5時閉館ですから、今日は能取湖へサンゴ草・厚岸草を見に出かけることにしました。 丁度見頃と言うことでしたが、今年は少し季節が遅く動いているようで、真っ赤と言う訳にはいきませんでした。ドライバーが親切に引っこ抜いて来てくれた(これは禁止事項でしょうね)のを見ますと、葉っぱは退化して節ばかりの草です。塩分を含んだ湿地に生育するもので、夏の間は緑ですが、秋には真っ赤に紅葉するのだそうです。
厚岸草と言うのが本名のようですが、その姿が似ていると言うことで、浜松、浜杉とも言うそうです。 沼地には木の歩道が着いていて写真が撮れるようになっていました。
帰りに網走番外地にある現在の網走刑務所の高い煉瓦の塀の前で写真を撮ってくれると言うドライバーの親切をうけました。これは何の記念になるのでしょうか?まさか「良いところだからまたお出で!」ではないとは思うのですが・・・。向日葵が塀の廻りに沢山咲いていました。
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網走漁港の鮭 | |
昨日耳で聞いて「カンドウイチバ」って何だろうと思っていたところは「感動市場」でした。
そこへゆく途中の港では丁度今の時期が漁期にあたる鮭水揚げが行われていて、船からドバーッ・ドバーッと網でコンテナーにあげられている様子が見られました。左上の箱は全部が見事な鮭です。これが全国に送られて、みんなの胃袋に入るのですよね。やがて切り身の鮭になって・・・。
感動市場は賑やかでした。午前中だけしか開いていません。どれもみな美味しそうですがここで買ってもどうにもなりませんから、明日から二日の船旅の間に船室で慰みに食べるタラバガニの足を半身分だけ買いました。船の冷蔵庫に保存します。
知床観光のクルーズ船に乗る予定でしたが、海が荒れて観光船オーロラ号が欠航となりましたので、取りやめ・・。
タクシーでフリー観光をすることにいたしました。 |
天都山・流氷館 | |
天都山に登り、流氷館に入りました。ドライバーが「18度ですけれど大丈夫ですか?」と聞きます。18度だったら快適じゃないのと思って「ダイジョウブ。ダイジョウブ」と言うとそれにはマイナスをつけなければならない温度だったんですよ。ここの人々は寒いのが当たり前で、会話には「25度になるとヤッパリ寒いね」と言う調子なのでした。ダイジョウブでなかった私達はガウンを着込んで今年の流氷に手をふれて参りました。 キタキツネとアザラシの剥製が流氷の上にいましたヨ。可愛かったです。 |
網走監獄博物館 | |
網走刑務所の建て替えに従って、歴史的建造物として残して置くことに決まり、監獄当時の建物をそのまま移築して造られた博物館です。 裁判所、留置所の模擬施設や、北海道開拓時に囚人を労働力として使役するためのタコ部屋、実際の牢獄の状態を等身大の表情も生々しい人形を用いて展示してあります。法廷展示などでは「静粛に」と声をかけられそうでした。 規律違反者への懲罰は厳しく、拷問の道具なども展示されていて、恐ろしかったです。 旧士族で明治薩長政権に反抗した人々をはじめとして徳田球一、宮本顕治などもここに収容されたと聞いています。監視下の入浴も展示されていましたが、背中の刺青までつくられていました。 北海道の開発はここの囚人によるところが多く、工事中に死亡すれば、その場に埋めて工事を進めたので、その白骨が農場開拓時にみつかることがあったとか聞きました。戦時中には南方戦線に囚人を道路工事などにかり出したりしたのだそうですね。冷酷で重い過去を持った監獄だったのですね。 |
択捉島が見えました。雲を被っていますからはっきりしませんが、大きな島です 北方四島問題を言い出すと、政治問題になってしまいますから、ヤメにするとしましても、今回の旅行で解ったことは国後、択捉の両島は大きい島で、歯舞、色丹はまことに小さい島だと言うことでした。歯舞諸島と言うくらいで、小さな島々からなっているのが、歯舞だと知りました。また無知をさらけだしました。恥ずかしい限りで、ハンセイしきりです。千島列島として日本地理で習った記憶のあるこの列島はクリル諸島となって今の世界地図には載っています。 60年と言う歳月を思い、切ない思いで見て通りました。それはさておき、北にむかっているとは言え、暖かい日差しでちっともそんな感じがせず、心地よい日々です。 洋上に二日間と言うことで、船のほうではいろいろとイヴェントを考えてくれています。写真の仮装は国籍不明。船のスタッフの方です。マトリューシュカを持っていますからロシアのつもりでしょうね。私は仮装をしなくとも、見せ物になりそうな格好ですから船室に籠もっていました。
それでも買ってきた網走ビールとタラバガニの脚がありますから十分に楽しめました。
本もあれこれ、滅多に読まない古典文学なんかを船のライブラリーから借用してきて読みました。ベッドの上で時折誘われる眠りにも自然に同調しているというのは、家にいるときとはちょっと違う贅沢な時間の使い方でした。羨ましがらせるつもりで書きましたが、本当は少し退屈でもあります。
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