茫茫漫遊記 イースタン・オリエント急行編4
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9月24日 クワイ川鉄橋





映画「戦場に架ける橋」きっと皆さんは思い出すと思いながら・・・・・・。映画は事実とは違うらしいですけれど、私は何だが事実のように思い込んでいました。

この橋はもちろんあの映画の橋とは違います。今ではこんな立派な鉄橋になっています。
静かなこの川の周辺で、あの緊迫した戦闘が行われ悲惨な捕虜虐待の歴史があったなどと思えないほどの平穏です。
列車は少し寄り道をしてクワイ川駅で下車し、この橋のたもとから、カンチャナブリまで船で移動します。こののどかで、穏やかなタイの風景は本当に心を和ませます。


泰緬鉄道記念館(死の鉄道記念館)





のどかなクワイ川をクルーズして、カンチャナブリ市にある記念館を訪れました。私たち世代ですと「泰緬鉄道」と言う名前を知っているのではないでしょうか。
シンガポールへの物資輸送の必要のために、1942年にこの鉄道415キロの建設を始めたのだそうです。イギリス、オーストラリア、アメリカ、オランダ人の戦争捕虜インドネシア、マレー、ビルマ中国、インド、タイなどからの人々の強制労働によって建設をしたのだそうです。この記念館の解説は、日本人である私たちには、非常に辛いものがありました。国境山岳地帯の岩を削る作業(今とは違います)を連日。食糧不足。雨季の激しいスコール。医療品不足。虐待。伝染病などで、多数の死者を出したわけです。それを懇切に解説するのを聞いているのは、まことに悲しく辛い体験でした。

戦後、この建設に当たった日本の鉄道兵は捕虜として捕らえられ、敷設した鉄道レールを撤去する作業に従事させられたと言うことでした。もうこの体験をした人々は逝ってしまわれたことでしょうが、どのような気持で居られたか、本当に切なくなりました。
西欧の人々が、ここで日本に対する認識をどのようにもったのかと考えさせられました。現在はナムトック線のカンチャナブリの駅で下車して行けるところです。
クワイ川はご覧のようにのどかです。平和であることに感謝しなければと今更ながらに思わされた一日でした。


泰緬鉄道犠牲者の墓地





「死の鉄道記念館」の隣にあるカンチャナブリ英連邦戦没者墓地に詣でました。
戦後、沿線各地からの遺骨を集めて、泰国民によって設置された墓地です。英国、オランダ、などの戦没者が主です。米国は遺骨を本国に持ち帰ったそうです。
捕虜として労働に従事し、遺族のわかっている人、わかっていない人、いろいろですが、20代から40代の墓碑銘でした。ところどころに新しい花を捧げた墓碑もあり、墓碑銘を読むと切なくなりました。見回すと私たちの列車の乗客ばかりでなく、彼方此方からバスでお墓を訪ねる人々がいるみたいでした。
この墓地の隣にはタイ式のお墓が整然と並ぶ処もありました。
この泰緬鉄道関連の墓地はこの他「チョンカイ英連邦戦没者墓地」とミャンマーにも「タンビューザヤット英連邦戦没者墓地」があるそうです。それですべてではないと、ガイドは言いました。


ライブラリーとバー・カー





クワイ川で少しつかれましたから、のんびりのんきに終着駅バンコックまで非現実を楽しみます。
これは列車の中にあるライブラリーとバー・カーです。ライブラリーと言っても、格別な図書が置いてあるわけではありませんが、ゆったりと座って読書が出来るスペースがあります。自分一人の時間を持てると言うわけですが、今回は変な話ですがそんな暇がありませんでした。
バー・カーの女性はマレーシアの時は、マレーシアの服装をしていたと思います。沢山のリカーが並んでいます。ディナーのあと、ここでゆったりお話をしたり、ピアノ(白いピアノがあり、演奏したり、させたりします。)を聴いたりして過ごすのですが、私たちはもうご遠慮申し上げました。田舎者ですからね。


バンコック駅到着・3輪トラックの様なタクシーに驚く




バンコック駅に到着。到着するまでにビックリすることがありました。

農村地帯はとてものどかで美しかったのに、バンコック駅に近づくに従って落ち着きがなくなって参りました。列車の窓から1bほど離れた処まで、トタン屋根が張り出して来ていました。スラムです。日本の戦後の荒廃した巷よりもヒドイ!。言い方は悪いでしょうが、貧民窟と言うのはこんな処でしょうか?薄汚れた布きれのぶら下がったトタン屋根の下で、なにやら調理をしていたり、そこに野良犬がグダーッと寝そべり、その側に裸の子供がごみ拾いをしていて・・・・・。と、目を覆うばかりの生活環境が目前に現れました。倦怠と言うか、怠惰と言うか表現を知りませんが、人間として生きると言うことが、どんなことなのか、考えさせられました。
これをエキゾチックとして最もイースターンな雰囲気として西欧の人は見るのでしょうか。駅は王国の駅らしく、王や王妃の大きな写真が飾られていました。乗客全員がここで下車するのです。とても機能的な造りとは見えませんでしたが、急かされて誘導され駅前で待っていたバスに乗り込みました。
ここもおどろく程多くの車が走っていました。その中にご覧のようなタクシーがありました。普通のセダンもありましたが・・・。日本では転倒の危険があると言うことになっている3輪自動車です。暑いところですから、これはオープンカー。風を切って走ると言うことでしょうね。

タイにて・古典舞踊





何と言う美形でしょうか!ホテルでタイの古典舞踊を見ながらのディナーでした。タイの古典舞踊には台詞がなくて、古典ドラマを題材としているとか。
内容が解らないのですが、その振り付けや仕草で、悪役と美女のやりとり、王女と王子だとかが複雑に絡み合って、最後はハッピーエンドの様でした。
それにしても、タイの若者に美男子が多いことに驚きました。勿論、お化粧がいいこともありますが、まるで女性!と思ったら、タイでは性転換手術を受ける若者が多くいるんですって!兵役を逃れるためですと、ガイドが平然と言いました。本当かしら?
この舞踊を見ながらのディナーはブッフェスタイルでした。トクヤムクンをはじめとして、タイ料理、中華風料理ゴチャゴチャと食べましたが、途中でこの人たちがデーブルに回ってきて写真を一緒にとったりしましたので、落ち着きませんでした。 味と量については聞かないで下さい。体重が増加したことは確かですから・・・・・。


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