ロシア3
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8月25日 | 小さな人形を買いました |
ガイドが案内してくれたこの建物は、なんとお土産をうるところでした。この建物は他にも用途があるようでした。3人の店員の中に日本語を話す青年がいて、対応しました。ガイドはそれを利用したのだと思います。それにしても、この建物を土産物を売るところだと想像できますか?観光客へのお土産は例のマトリューシュカです。バイカル湖周辺からとれるジェムストーンや、琥珀のアクセサリーが主たる土産物で、ここでは小さなロシアンドレスを着た人形を買いました。ここでは安く買えると言うガイドの案内でしたが、ホテルの売店程度の小さいお店で、実は少々戸惑いました。所謂観光客目当ての大きな店はイルクーツクにはないようでした。どこへ行ってもこのマトリューシュカです。白樺の木を用いたもので、軽くて薄く、同じ模様を描いたナカゴが5個だとか10個。多いのだと15個も入っています。新作もさまざまあって、女優さんだとかミュージシャンだとか流行の似顔絵のものもありました。傑作は一番外に「プーチン」の似顔絵が描かれ、開くと中に「エリツィン」の似顔絵の描かれたのが入っていて、その中に「ゴルバチョフ」の似顔絵が描かれたのが入っていると言うのがありました。あまり似ていませんでしたが、面白いですね。日本の.?大臣を重ねてみたら、どんなものになるのかしらナーンテ・・・想像したら。 笑っちゃう・・・・。それとも絶句する・・・・。その前に壊れちゃう・・・・。って言うところでしょうかね。オフザケデナイヨ!と叱られそう・・・。 |
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イルクーツク・レーニン橋と公園のレーニン像 | |
レニングラードがサンクトペテルブルグと名前を元に戻したりするくらいに、レーニンと言う名前が捨てられたのかと思っていました。それはヨーロッパロシアの事だった様です。ここイルクーツクでは、堂々と右手を挙げて立つあの銅像が立っていますし、違和感もないようです。ロシアはひろいのだと言うことを実感致しました。このレーニン橋は、レーニンの死後、イルクーツクに彼の遺産の一部を寄付すると言うことになり、未亡人がこの 街でもっとも必要なものをと言うことで、街の中を流れるアンガラ川にこのようないつまでも残る鉄の永久橋を建造したのだそうです。確かにこの橋の交通量はたいしたもののようでした。私にはレーニンの共産主義革命のことは詳しく知りませんし、その後の混乱もよくわかりませんが、スターリン独裁のソ連が、レーニン主義を旗印にしていたと認識しておりました。ソ連からロシアに政治が変換したとき、レーニンを批判し、スターリンを批判することになったのだと思っておりました。以前にサンクトペテルブルグに行ったときに感じたレーニンやスターリンの政治に対する反感のようなものを、ウラジオストックでも、ハバロフスクでも、イルクーツクでも、感じなかったのは不思議でした。今日は少しまじめな気分です。 |
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8月26日 | ハバロフスクのレーニン広場 |
今日も少しまじめなヨリ子のままです。ハバロフスクの最中心になるレーニン広場。ここには、あの右手を挙げたレーニンの像ではなく、立ち上がった形の像がたっています。彼の死後2年を経てから出来た像なのだぞうで、全国に3体しかないと言うのがガイドの説明でしたが、他のがどこにあるのかは知りません。この広場のまわりには、州政府機関、市の機関、大学などが建ち並んでいました。中に日本人抑留者の手によって建築され、共産党本部として使われたというどっしりした石造りの建物がありました。写真を撮りたかったのですが、そちらに回っていく時間がなく、バスの中から写したものはお見せ出来るようなものにはなりませんでした。中央にこの噴水があり、周りには花壇や植え込みも作られていて、本当におおきな広場でした。嘗てはここで共産党の大集会も開かれたのでしょう。今は平和のシンボルの様に、鳩も遊び、人々をのどかに憩わせていました。 |
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中ソ国境となるアムール川展望 | |
ハバロフスクから、約1時間のフィッチェル自然保護区へゆきました。ここも樹木の海、タイガの間を走ります。漢方薬の材料となる薬草や樹木があり、途中に製薬工場などがあります。軍事基地などもありました。地下にはミサイルなどがあるとか・・・。でものんびりした風景です。保護区の中の細い道を辿るとウスリー江がアムール川に合流する地点に着きます。対岸は中国黒龍江省です。国境警備の軍艦がみられます。旅に出る前、虫除けの準備をするようにと、しつこく言われていました。今日、この保護区へ入った途端蚊(?)の大群におそわれました。ストッキングなんかなんのそのの激襲でした。スゴカッタ!この銅像はハバロフスクのアムール川岸にたっているムラービオ・アムールスキのものです。中国との国境を決めた提督で、ウラジオストックの提督でもありました。緊張感のあるところなのでしょうが、川の流れはそんなこととは関わりなく静かでした。保護区とは言っても、自然の恵みは享受でき、道ばたにはキノコをバケツにいれて売っている人もいました。ちょうど、キノコの季節なのです。ここの緊張を体験したあと、われわれは近くのホテルでロシアサウナを体験し、どっと吹き出る汗を流してから戸外でバーベキューを食べました。豊かな気分でした。ホテルに帰る途中、キャビアを売るところに寄りました。事務所のようなドアを押して、冷蔵庫の中から品物を出してくれました。キャビアは、お土産として持ち出す量に制限があり、やはり大変なところでした。味はどこも同じだと思いますが、このように勿体ぶって売られると高級品のような感じがします。日本に帰ったら、私も息子たちに 勿体ぶってお土産を出そう と決めたところでした。 |
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アムール川クルーズでの点景 | |
真ん中の船は木材満載です。タイガの森林資源が、このようにして運び出されます。中国が主な輸出国だと言うことですが、この一艘で日本だったら1山丸裸になる位の木材量ではないだろうかと思いました。これが何艘も浮かんでいました。驚くほどの木材輸出ですね。もちろん日本にも輸出されている木材です。下はアムール鉄橋です。これで、シベリア横断鉄道がハバロフスクまで完全につながったわけです。1916年のことです。今の橋は1999年に改修されたもので、2300米、ワルシャワから、海路運ばれて来たものだそうです。上が自動車道、下が鉄道です。自動車は制限速度40キロですが、列車はそれよりもゆっくり走っています。貨物列車は70車両までとなっているとのことでした。アムール川は、われわれの習った頃の名前は黒竜江です。原住民の伝説で黒い龍が住んでいたのを退治して、その血の色なのだと言うことになっていますが、水の赤いのは鉄分と粘土質の土壌の所為です。アムールは8月、9月が増水期ですが、冬には凍結するので、年間航行出来るのは200日程度。160日と言う記録もあるとか・・。オー サムイ!中国との国境がすぐ近くなので、国境警備隊の本部がこのハバロフスクにあり、上の様に軍艦がこのようにして常に対峙している訳です。この軍艦の乗組員たちが裸で体操をしたり、走ったりしている光景をみました。このあたりには北方少数民族が伝統的な生活をしていると言うことですが、今日、アルコールを飲む様になり、その生活習慣も次第に乱れて来ているとのことでした。タイガでの狩猟、アムール川での漁業、トナカイの飼育などもしているそうです。そんな様子は観光客のわれわれの眼には入りません。それ程にひろいシベリアロシアです。 |