ロシア1
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8月23日 | ウラジオストック空港・ロシアに第一歩を踏んだ一行は平均年齢70 歳? |
成田空港では、最も端っこの駐機場でした。ここはウラジオストック航空です。飛行機はあまりきれいではありませんでした。機体も古くて、席はかなりの修理を重ねたとおぼしきもの。たった2時間半ぐらいの飛行ですからガマン・ガマンです。機内食が出ました。バターライスと焼き肉がメーンで、これはまぁまぁでした。降り立てばパスポートコントロールの係員のムッツリした顔と非能率的な仕事ぶりが印象的です。日本の空港ではきびきびと仕事を処していると言うことをつくづくと感じさせられたと言うのが、ロシアへの第一歩の印象でした。これは、極東ロシアだけではなく、サンクトペテルブルグでも感じたことではありました。そして、市内へ40分ぐらいでしょうか。ホテル・ガバン(ガマンだったらもっと面白かったでしょうが・・・)にチェックインです。今夜はここに泊まって、夕食を食べに出るだけです。新潟からは多くのチャーター便があると聞いていましたが、今回は成田発着。それならば便利だからと考えて参加したツアーでした。言葉もダー、ニェットスパシーボ(ハイ、イイエ、アリガトウ)しか知りませんから、どうしてもツアーでなければ行けないところでした。最高年齢は85歳ですって・・・。目も耳も歯も無事。薬は一服ものまないには驚かされました。この旅行記が終わる頃は、この地方は雪が降る季節になるかも知れないと思いながら、また皆様のお目汚しを致します。おつきあいくださいまして、ご感想などいただけたら私は嬉しいです。嬉しいのは私だけで、もしかして皆様はご迷惑かも知れないと考えてもいますが、幼い子供が「ミテ!ミテ!ミテ!」と言うのと同じ気分です。 |
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歌声喫茶で覚えたロシア民謡を歌う | |
歌声喫茶を思い出すのは、そんな年代を生きたからでしょうか。音楽喫茶の静かなクラシックミュージックとは違い、声を合わせて歌い、お互いの連帯を確認しあったあのころでした。カラオケとは違った意味での充実感があったような気がします。(但し、私はカラオケ未経験です。)その時の歌は不思議にほとんどロシア民謡だったような気がします。ロシアと言うと所謂ヨーロッパとは違う雰囲気がありますが、そこが若者の気持ちをひきつけていたのかも・・・・・。いまでは、ただただ懐かしく思われました。ソ連を脱して、いまではこのような若い人たちが、キーボーダーとなり、シンガーとなり観光客をもてなしているのです。ロシア・ウラジオストックでの第一夜、食事もかなり手をこめたものでした。ソ連ではなく、これは確かにロシアでした。さて、ここで食事を終えて外へ出ると、石段でつまづきそうになるくらい、街灯がほとんどついていなません。ホテルの前のコンビニで水を買い、高いけれども日本のビールを買いました。身振り・手振りで、スパシーボで締めくくり・・・。明日はハバロフスク経由でイルクーツクに行きます。 |
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8月24日 | バゲージクレーンの原理解明 |
小さな飛行場ではこんな風にして乗客の荷物が運ばれて来るという原理がはっきりとわかります。どこの飛行場でも原理はこれなんでしょうけれど、今まであまり考えたことがありませんでした。この頃の近代的設備だと思っていたクレーンも、ただ運び入れるところが遙かに遠くて、乗客からは見えないと言うだけなのでしょう。こうして見ると、ハハァ・コウイウコトカと納得してしまいます。それにしても全く格好をつけると言うことがなくて面白いこと!私の荷物は、この一回目のトラックには積まれて居らず、一旦休んで、しばらくしてからもう一度同じトラックが来て、制服を着ているわけでもないジーパンの運転手がドンドンと音を立てて窓から投げ入れて寄越しました。アメリカでは預け入れ荷物の鍵をはずして出す様に言われましたが、ロシアでは必ず鍵をかけるようにとキツク注意をされました。このようなバゲージクレーンでは、鍵がないと危険ですよね。 |
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口がまわらくなるような名前の教会でした | |
キーロフ広場と言うイルクーツクの最も重要な大きな広場に面してこれらの教会があります。宗教を麻薬だとして禁止したソ連の時代には、ここでも多くの教会が取り壊される迫害を受けたとのことです。でも宗教を全くなくすことは不可能でした。共産革命以前には多くの民族・人種が居住し、それぞれの宗教を持っておりました。キリスト教会はイルクーツク市に大小五十九を数えたそうです。修道院も十五あったそうですが、ソ連時代に廃止され、たった一つだけが残っていて、ズナメンスカヤ修道院前そこを訪ねました。丁度日曜日で、終日ミサがあげられていて、私は無宗教者ですけれどもとても荘厳な雰囲気でした。ロシア正教はイコンが有名で、特にこの修道院はキリストを胎内に入れているマリアのイコンがあることで知られています。この修道院の前に多分酔いつぶれているのであろう男が、草の上に倒れていました。一瞬死んでいるのではないかと驚かされました。そばに乞食をしているおばあさんが坐っていて、ぼこぼこの鍋を差しだしました。また、幼い子供がいて、汚い手を差し出して来ました。今のロシアの一つの姿でしょうか。修道院の庭には赤いシベリアリンゴ(食べられない)が赤い実をたわわにつけて、雨後の陽に輝いていました。 |
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戦没者慰霊モニュメント・永遠の灯 | |
イルクーツクの歴史的意味を持つ建造物である教会を周辺に置くこの広場はキーロフ広場です。ビクトリー広場とも言われるそうです。ここに、イルクーツク州の戦没者慰霊のモニュメント・永遠の灯が灯されていました。もとはここにも教会があったそうです。この永遠の灯には、沢山新しい花束が捧げられていました。イルクーツクでは、結婚式をあげた後のカップルがここにお詣りをして、花束を捧げるのが習わしになっているのだそうです。このような慰霊のモニュメントがあり、若者たちに平和を考えさせる習わしがあるのはいいことだと思いました。写真でみると直ぐ近くの壁に見えますが、背景にある建物はかなり離れています。ここに記されてあるのは、イルクーツク州の出身の軍人たちの名前で、戦時に功労をあげた人々のもの。勲章のマークからみて、ソ連時代のものと思われます。ここでは、観光の時間が制約されていて、正面に行って、写真を撮ることが出来ませんでした。 |