ロシア2
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8月25日 | ドラマ劇場と言うんだそうです |
イルクーツクの市内にはいろいろな歴史的建造物もありました。このドラマ劇場はガイドが何回も説明しましたが、とてもすてきなロマンチックな建造物。観光バスの窓から写して見ました。サンクトペテルブルグにはこんな風な宮殿があったことを思い出します。ヨーロッパロシアとは雰囲気が異なるシベリアロシアです。ここイルクーツクは19世紀初頭の時代、反乱(デカプリストの反乱)を起こした教養ある貴族たちが流刑になったところで、彼らの指導・教育がイルクーツクを文化的に高い土地にしたと言われています。今日ここには11の国立大学があり、人口60万人の10%が学生だと言うことでした。ここに来るまでは、イルクーツクはもっと田舎だと想っていたのです。たしかに大変辺鄙ですが、ここのガガーリン通り、カールマルクス通りなどと言うメインストリートには19世紀の建物が並んでいて、シベリア鉄道の本部が置かれたと言う重厚な石造りも見られました。ここに滞在したチェホフが、ここを文化の街と記していたのももっともなことと頷かせます。明日はバイカル湖へ行きます。 |
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バイカル湖を望む岡の日本人抑留者墓地 | |
ロシア人墓地のある片隅にありました。ガイドが日本人の墓地は四角い石です。番号がついています。と、言っていました。岡に登っていくと、四角い石が草の中に並んでいました。一瞬、踏み石だと思う位の墓石です。その石の上に番号が書かれていました。故郷を恋いながらこの極寒の地に死んでいった人々が、こんな風に葬られている・・・と思うと、涙が止まりませんでした。右側の様な石碑が立てられていましたが、碑文を書いたプレートがあっただろうところには、何もなく、その前にご覧のように名前を書いたプラスチックのプレートが立てかけられていました。風が吹いたら忽ち飛んでしまうでことでしょう。お線香と、少しばかりのお花を捧げて手をあわせました。ハバロフスクにも日本人墓地がありますが、ここは僻地です。今は誰かが刈ってくれたのでしょう。三十五ばかり並んでいる墓石が現れて見えますが、草が育ち墓石の埋もれることもあるでしょう。踏み石のようになって土地の人々が歩くこともあるのではないでしょうか。中には斜面に半ば階段のようになって見えるものもありました。帰りたかった故郷・日本から私たちは飛行機で一日もかからずに、のんびりとやってきたのです。申し訳ないような気持ちでした。 |
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憧れて来たバイカル湖 | |
主人の友人が、ハバロフスクに仕事を持っていて、「バイカル湖はいいよ。女の人はバイカル湖を見れば涙をこぼすよ」などと言いました。そこで私の憧れはつのったのでした。主人は私が涙をこぼすところを見たいと思ったのかも知れません。でも、残念なことに、私は涙が出ませんでした。もしかして、もう女でないのかも・・・。それにこの日は少し曇りで湖も蒼く見えませんでした。晴天の日には、やはり女の人は泣いてしまう美しさかもしれません。原住民のギリヤークク語で「富の湖」と言う意味だと言うバイカル湖です。日本の四分の一の広さ。世界全人口が飲用する水の四十年分をまかなえるという貯水量。「昔々、太平洋には島がなくシベリア大陸には湖がなかった。神様がヒョイと一つまみつまんで太平洋に投げ入れた結果、日本が出来た。残された穴がバイカル湖になった」と言う話です。確かにこの湖の形は日本とよく似ています。この湖の世界一の透明度は、棲息する小さなエビや海綿などが、動物の死骸を食していることにもよると言います。それに寒さ、冬は全部凍結してしまうわけですから・・・。この湖に棲息する動物には特有種が多く、バイカルチョウザメもいます。チョウザメと聞けばキャビアに思いは飛ぶのですが、バイカルチョウザメの卵はキャビアにはならないんだそうです。ザンネンでした。あれはカスピ海のものだそうです。キャビアはあきらめて、深度四百米以下の水はそのまま飲用水となるそうで、ペットボトルに入ったその水を買って飲みました。とても安くて美味でした。なお、この水を売るように指導したのは日本人なのだそうです。 |
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オームリと言うお魚料理 | |
バイカル湖のお水だけではやはり物足りないですね。お昼にこの湖の特有種であるオームリを食べました。バイカル湖クルーズと言う一時間ばかりの船旅をしたら、その船長さんが楽しみに釣り、今夜食べると言うオームリを見せてくれました。淡水の魚ですから、味はあっさりとしています。ここでは、まず、サラダそしてこのオームリの小さな切り身の入ったボルシチ風のトマト味スープ、そしてこれがメーンディッシュ、そしてアイスクリームと紅茶。ここのレストランでは、どのお客もこれを食べていたのですが、日本だったら養殖と言うことに考えが行きますが、ここでは全部自然の贈り物だそうです。バイカル湖のカモメもかなりデブで、身につまされる思いがしました。それだけ湖の魚が豊富なのでしょうね。クルーズを終わって下船した岸壁で、焼き魚を売っていましたが、あまり清潔とは見えず、食欲は出ませんでした。ニェット・スパシーバと言いながら見てまわりました。やっと覚えたロシア語の一つで、まことに便利なノー・サンキューです。今回はいくつか便利なロシア語を覚えました。この次に来るときはうまく使って楽しみたいと思います。オームリ を食べた私です。それは オームリムリ なんて言わないで下さい。 |
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18世紀建設のニコライ正教会 木造建築博物館にある17世紀の教会 | |
今日は少し変わっています。シベリアには有名なタイガと言う大森林地帯があります。2003年の異常気象で、大火災が発生して日本の四国ほどの面積が焼失したと報じられていましたが、イルクーツクからバイカル湖まで、われわれはその大森林地帯の中を通って来ました。距離にしてたった70キロですから、ほんの一部、針の穴よりも小さい部分です。タイガとはみどりの湖と言う意味だそうです。赤松、エゾマツ、シベリア松、落葉松、白樺などの原生林が延々と続きます。そこで木造建築にすばらしいものが生まれました。左の教会はリストビアンカ(落葉松の多い場所という意味)村にあるもので釘無し建築のニコライ正教会(旅の安全を守る聖人)です。この村はバイカル湖岸にあり、落葉松の家が多く、避暑地です。夏には人口が3倍にも増えるそうです。皆様も如何ですか。右の建物はバイカル湖からたった一つ流れ出すアンガラ川にダムを建設するとき、水没した村から保存のために移築されて、今は木造建築物博物館の中に展示してある建物の一つです。17世紀から19世紀までの美しい木造建築物が集められている野外博物館で、広大な博物館地域は全部禁煙です。日本映画の大黒屋光大夫の撮影のときここを使ったと言う話でした。周辺の白樺林はまことに美しく奥深く続いていました。トイレも実に自然の形で、男女兼用、穴だけしかないもので、木造建築でした。臭気甚だしい。話が下の方に行きました。書き足りないけれど、ここで止めます。 |