竹生島 | 長浜・彦根 |
観音様へ
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長浜 |
伊吹山の朝日 | ||
長浜のホテルから見えた伊吹山の朝明けです。少し時間が遅かったような気がしますが、形の良い伊吹山であることがわかると思います。ただし日中となると、中腹あたりが削り取られて山肌が見えてあまり感心しません。このままの形で緑に覆われていたらどんなに素敵だったかと考えました。 琵琶湖の朝凪はすばらしいです。私は3泊しましたが、朝を迎えるたびに感動しました。 午前中3時間ばかり空き時間があったので、友だちと観音めぐりをすることにしました。湖北の余呉湖にはゆく時間がありませんが、タクシーのドライバーさんのお薦めのいくつかにお詣りします。 |
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木の本地蔵 | ||
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木之元地蔵さまから参拝しました。 片目の蛙さんが眼の病気の厄払いをしてくれるのだとかで、瀬戸物で緑色をした小さな片目蛙が至る所に供えられていました。その蛙の中に願い事を書いて供えるのだとのことでした。 何回もお地蔵さまのまわりを祈りながら巡っている人もいて、湖北地方の昔ながらの信仰の習わしがこうして残っていることに感心しました。, ここにお供えはしませんでしたが、一応お守りになるので、内のお仏壇に供えてお願いしてもも良いのですよという言葉に従って、願い事が数限りなくわる私も一つ、小さな片目蛙を頂いてきました。 |
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渡岸寺の仏像を隠した場所 | ||
木之本地蔵さまのあと タクシードライバーが案内してくれたのは観音寺。赤後寺。充満寺。渡岸寺。石道寺。
の順序だったと思います。 渡岸寺以外はどのお寺も静かな鄙びたところに、お堂が建っていると言うかたちで、訪ねて行ってはじめて案内の人が現れると言う場所でしたが、それだから良いので、どのお堂もほっとする感しで、本当に親しめました。どの仏像も撮影は禁止。お厨子を撮しました。信仰の深さを示すのでしょうか、素晴らしい細工のお厨子に感心しました。 特に赤後寺の聖観音菩薩、千手観音菩薩は戦火を逃れるために、川に沈めて仏像を守ったので、お手の先や装飾されていたであろうものが、すべて失われ、痛々しくなったお姿を、人の眼にさらすことをしないために、長い間秘仏としていたと言うことで、その頃の信仰の深さ、人々の心根に打たれました。 |
渡岸寺観音堂(向源寺)の山門 | ||
国宝十一面観音は向源寺の観音堂に鎮座しておられます。 比叡山の天台宗の七堂伽藍でしたが、浅井、織田の戦火の為伽藍がことごとく焼失したのです。そのとき住職や土地の住民が仏像を搬出し、土中に埋めて難を免れたのだそうです。 その後、真宗に帰依していた住僧巧園でしたので、渡岸寺を廃して向源寺となったのだそうです。真宗ですから、本堂にはこの十一面観音を納めず、別に観音堂を建立して納めたのだそうで、渡岸寺観音堂と称しています。 そんなことはともかく、素晴らしい観音像でした。 日本彫刻史の中でも最高傑作とされています。一木造りで、軽く腰を左側にひねったお姿は、言うに言えない程に魅惑的です。 |