茫茫漫遊記 長浜・彦根夏紀行


竹生島
長浜・彦根 観音様へ   長 浜  
長浜竹生島への乗船埠頭から
 


実は夜行寝台車で日本海側をとおってゆくつもりでしたが、大きな土砂崩れがあって、羽越本線は不通になっていましたので、仕方がありませんから、早起きして、朝、七時四十五分の「こまち六号」にて東京へ。東京十一時三十六分「ひかり十八号」岡山行きに乗車。暑い。東京は曇り。米原に十三時五十分着。米原は何にもない田舎の市という感じでした。土地のことをよく知らないものが不適当なことをと思われる方がいらっしゃるでしょうね。
北陸線がここから始まり東海道線と交差するということが、新幹線の駅になっている理由だとか聞きましたが、歴史的には大事な場所です。

ここで琵琶湖線に乗り換えて長浜着十四時三十一分。まっすぐに竹生島観光船の発着埠頭にタクシーで向かいました。とにかく暑いところです。

タクシーのドライバーが「十五時十五分の船はないよ」などと言うので、、それがなかったら予定が全く変更になるので心配しましたが、私たちの方がドライバーよりも正しくて、連絡船があり、ほっとしました。

         



 

十五時十五分の船で(これが最終)竹生島に行きます。
女子学生らしい二人連れがいて、竹生島をなんと「ちくしょうしま」と読んで、船の切符を買っていたので、私は笑い出したくなりましたけれど、笑いもしないで対応する切符売り場の女性には感心させられました。


竹生島には七百二十四年に行基が開いた華厳宗の寺(その後空海が入山して真言宗となった)宝巌寺と都久夫須麻神社があります。本堂のあるところまでは祈りの石段と言う百六十七段のかなり急な石段があり、途中に観音堂があります。

国宝の唐門をくぐり同じく国宝の都久夫須麻神社へとつながる重要文化財の船廊下を抜けます。
観音堂にはおびんずる様が座っていたので、まずは頭をなでてお願いをしました。いつもの通り「惚けませんように」・・・・。

都久夫須麻神社から竜神拝所と言うところから湖に面している鳥居まで、ちいさなカワラケに願い事を書いて抛り、それが鳥居をうまく潜れば、願いが叶うと言うおまじないの場所があります。最終の船なので、観光客も少なくて、売店は店じまいをし始めていましたが、カワラケを買って、抛ってみましたが不成功でした。





その後、宝巌寺の本堂・弁天堂まで登ります。
かなりの急な石段で、夕方で観光客はもういなくなってしまい、山の上の寺の人々が何か荷物を持って下りてきて「宝物殿はもうしまっていますよ」と声をかけてきました。写真だけ撮るのでいいんですなどと言ってのぼってゆきましたが、連絡船の時間もあるので三重塔にはのぼるのをやめました。

山上の本堂には僧が一人だけ座っていました。
夜になれば観光客は誰一人いなくなる島ですが、勿論お寺の僧たちはこの島にいるのでしょう。静かなことだと想います。



本堂です。


     
         阿弥陀堂(国宝)
   

船着き場にはよく知られている「琵琶湖周航の歌」の刻まれた碑があります。

また「當嶋水際八町殺生禁断也」の古びた石柱。「琵琶湖八景深緑竹生嶋の沈影」の碑がありました。

この島の自然のまま残っている森が、鵜の営巣地となり枯れ出しているとの事を聞きましたが、暮れ方で塒に帰って来る時間なのでしょう。鵜の群れがうるさく鳴き交わし、そのほかにサギたちもここの森に宿るらしく、悠然と夕空を飛んでいました。




[上へ戻る][目次ページへ]