竹生島 |
長浜・彦根
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観音様へ
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長浜 |
大通寺 山門 | |||
朝・四時半に起床しました。琵琶湖の朝の景観はすばらしいものです。パステルカラーの絹のスカーフを敷いたようです。 平らに凪いでい湖面に朝の光が映り、時間の経過とともにその色が変化してゆくのです。昨夜は晩くまで街の明かりが反射していましたが、空気がいいせいでしょうか、灯りの周りは闇が深かったように思います。 今日は土曜日なので、レジャーボートが朝凪の湖面を切るように鋭く水脈を曳いて航行してゆきます。 団体客が多く、朝食が混み合うと昨日フロントに言われていましたので、食堂が開く前から行って行列に加わります。ビュッフェスタイル。七時半チェックアウトして、タクシーで彦根に向かう。ドライバーに頼んで長浜の街を少し廻ってもらうこよにしました。 |
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大通寺 本堂 | 山内一豊の母の墓地 | ||
長浜は人口九万人。旧長浜駅・ここは日本でも一番古い駅舎だとか説明がありました。長浜は豊臣秀吉が信長からはじめて貰った領地で、当時は、今浜と言う名前だったそうですが、信長の「長」をつけて長浜と名前をかえたと言う、おべっかを使うような感じに命名されたところのようです。 なんと言っても秀吉さまの街ですので、徳川になってからの処世には苦労したことでしょうが、豊国神社なども名を変えて拝まれ続けてきたと言うことです。 都を真似て造られた碁盤の目の町筋、大通寺と言う大きな寺とその門前通り表参道、北国街道、それに面した豪商の安藤家、秀吉の行った曳山祭りの話とその展示館などの話を聞きながら、彦根に向かいます。 途次、山内一豊の母・法秀尼(法秀院)の墓を見ましたた。今年はNHKの大河ドラマが山内一豊が取り上げているので、観光客が例年よりも多いとか言う話で、新しい花が供えられてありましたが、お寺があるわけではなかったです。 |
滋賀県は県都・大津(人口三十万)彦根(十万)近江八幡、長浜などの大きな街があります。 近江の国は北陸道、東海道の交通の要衝で、京、大坂に近い土地の利と、琵琶湖という天然の要塞があり、織田、豊臣、徳川の武将たち{織田信長・橋場秀吉・明智光秀・石田三成。井伊直政等々}が覇を争い、「近江を制するものは天下を制する」などとも言われたところですので、住民はどんな思いで暮らしたのでしょうか。 天守閣のある山にのぼる前に、博物館に入って下調べです。これは付け焼き刃と言うのでしょうね。 素晴らしい能舞台があったりして、流石と感心しながらフムフムと見てまわりました。 天守閣にのぼるのは大変でした。杖を借りたりして不揃いの石段を登ります。7年ぐらい前にきたときはすいすいのぼったのにとぼやきながらのぼります。年のせいだと思うのは悔しいですね。 |
天守閣を下りて、天守閣の横から後ろの方へまわり、玄宮園と言う名園へと向かいました。このあたりから急な雨が降り出してきました。 この庭園は彦根城から見下ろす位置にある回遊式庭園で、ゆっくりとまわることが出来ればよかったのでしょうが、雨が激しくなって、急いで池に面してしつらえてある茶亭にて一休みすることにしました。 庭園の池の情景がもっとも良く見えるところなのでしょう。ここで銘菓埋もれ木と薄茶をいただき、ほっと一息つきました。 ここで、彦根城と名前を大きく書き込んだ傘を貸してもらってので助かりまして。この傘は観光客への貸し出し用なので、使い終わったら駐車場などに預かって貰えばいいのだということで、有り難く拝借しました。 |
玄宮園の入り口近くに「花の生涯」の記念碑がありました。これもNHKの大河ドラマの題名で、井伊直弼の生涯が印象深かったのを思い出しました。 雨をかこちながら門前の厩長屋を見、城内を出てお堀を渡って、沢山の店の並ぶキャッスルロードへ出て昼食に蕎麦を食してほっと一息と言うことになりました。 食後すぐ近くの老舗の菓子舗「いと重」で銘菓「埋もれ木」などの送付を依頼しました。老舗とは言っても華やかな雰囲気ではなく、しっとりとした昔の風情で気分がよかったです。 午後一時頃、タクシーを呼んでもらってホテルに向かいました。雨ですから、ゆっくりするつもりです。 高校野球の県大会の決勝戦の始まる時間が、雨で遅れているなどとタクシーのドライバーが言いました。 |