茫茫漫遊記 パリから英国へ編
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5月14日 ベルゲン




ベルゲンの港につきました。ここはフィヨルド観光の基点として知られるところです。

陳腐な言い方だけれど、鏡の上を滑るようにして港へ入りました。
観光案内によりますと、ここはほとんど毎日の様に雨が降るとありますけれど、信じられないくらいの晴天に恵まれました。北欧にいるということを忘れるくらいの暑さです。

今日は自由行動。港を見下ろすフロイエン山へケーブルで登ります。
一望する世界遺産の町並みや海の色に感嘆して声をあげます。

世界遺産になっている町並みは、軒並み土産物屋になっています。北欧のセーターの雪の模様の編み込みの美しいデザインされているのを見ると、やはり購入したくなりますね。私はアムステルダムでの掏摸にあった体験から、エルクの皮で出来た首から提げるセーフを買いました。現実的!

この美しく並んだブリッケン地区の建物群は、ハンザ同盟じだいのもので、裏手の方にゆく家々の横には隙間のようになっていて板敷きの路地があったりします。入るのに重量制限(私はパスしました)があったりするのでした。ハンザ博物館の中全部木造で、床が軋むのです。
日本だったら、古い建物で残っているのは大抵が寺院だったり、城だったり、神社や豪族の家だったりするの、頑丈な造りで残っていますが、ここの建物はずべて実用のもの。少し古くなると軋んだり、曲がったりは当然なのでしょう。
ここのフィッシャーマンズワーフは日曜でお休み。残念でした。
グリークの家






タクシーをたのんでグリークの記念館に出かけました。街からは20分程かかる静かなフィヨルドの入り江を見下ろす所にあります。
彼の愛用のピアノや調度がそのままに残されている家があり、しんと鎮まるフィヨルドの入り江を見下ろすところには、ベンチが置いてあります。グリークのあのメランコリックで、静かで、優しく透明な音楽が生まれたのは、確かにここなのだと言う感を深くしました。

隣にある記念館には、彼の作曲した音楽が流され、楽譜や、遺品、写真などが飾られていて、しばらく美しい時間を過ごしました。

少し離れたところに小さな草葺きの家があり、ここには人が住んでいるようでした。
草葺きと言っても、日本のそれとはことなり、屋根の上に種を蒔いて草を生やしてあるのです。夏は涼しく、冬は暖かいのだと言います。

港の方まで帰ってくると、フィッシャーマンズワーフの傍から出る小さな玩具のようなトラムが来ました。それに乗ってベルゲンの街を一回りします。日本語の解説もしてくれましたので、楽しめました。
ハンセン氏病のハンセンがここの出身で、ハンセン氏病の研究病院の後が、記念館になっていること、城跡だとかを見ながらフロイエン山の中腹まで登って一休み。
ガタガタの石畳の坂道を下って一時間足らずの周遊でした。
氷河の先端





人口4人の村なんて言うのが見られるフィヨルドの中にはいっていきました。停まっているような感じです。早朝、ひっそりとしてうごくものがなく、迫ってくる崖の上の残雪を桃色にそめているのが朝日!。迫って来る新緑に覆われた急峻な山々、そして注ぎ込む幾筋もの瀧。

フィヨルドって海なのかしら?勿論海ですよと教えられても、一枚の銀盤を貼り付けたような感じからは海とは信じられなかったのです。海豚がが登ってくることがあるとも聞きましたから、本当に海なのですね。

グドバンゲンの港はテンダーボートで下船。フィヨルドの岸の急坂をバスで登り、スタルハイムへ。ここで昼食。またバスに乗り、ボス湖畔で休憩。好天だとノルウエーの人々は忽ち裸で日光浴をするのですね。草の上に寝転ぶ人々の肌の白さがやけに目立つ感じがしました。ボス駅からノルウエー国鉄でミュールダール駅にゆき、ここからフロム鉄道に乗ってフロム港までゆきます。

フロム鉄道は全長20キロ、トンネルが20個、そのうち18は手堀だそうです。
海抜867メートルから海抜2メートルのフロムまでの私鉄。トンネルの長さが6キロと言うことで、螺旋状にくりぬいてあるのだそうです。美しいヒューズ瀧で写真ストップ。あちこちに流れ落ちる瀧を見ながらフロムの駅に着きました。

フロムは小さな町ですが、きれいに整えられて家々それに小さな教会の塔が見られるすてきな所でした。冬は寒いでしょうね。

次いで、ゾグネフィヨルドの一番奥・ジョスタデル氷河の先端を見て船は反転して北海に向かいました。

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