このページはデジカメ使用が出来なかった頃のものです。 記録として残して置くためにここに載せました。 お見苦しい所はご容赦下さい。 |
フランス
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英 国 | 英 国 |
5月9日 | パリ着 |
世界一周クルーズのうち、区間乗船を申し込んでの旅です。 ヨーロッパに寄港する飛鳥に乗り込むわけですから、その港ま では、自分たちで計画して行かなければなりません。しかし、 荷物はすでに横浜を出航する船に積み込んでありますので、 身の回りの些細なものだけを持参すればいいと言うことにな りますので、小さな荷物を飛行機にキャリイオンしてという形で 大変楽です。船旅の宣伝になるでしょうか。これは・・・・。 パリ・シャルル・ド・ゴール空港からパリ一泊。そのあと停泊港 のル・アーブルにまいります。 到着は夕暮れ近くでした。丁度マロニエが盛りの花をつけて いました。チェックインしたホテルは、古い貴族の館を改装し たもので、周辺にも古い建物がならんでいます。調度品も みなクラシックなものばかりで、心が安まりますが、迷路の様 な細い廊下を廻る感じで、戸惑いもありました。 前には小さなチェルリー公園があって、窓の外ね景観はとて も素晴らしいものでした。 まず今夜はリドでショーを見ながらのディナーを楽しむことに して、もうすっかり日暮れの街を見ながら外出。凱旋門の写 真も夕暮れ色です。 リドでのショータイムは夕方からの部に入り、ディナーをとり ます。正面のよい席をとってくれましたが、満員の状態。 食事はフランス料理とはほど遠いラフなもので、追い立てら れるように忙しかったです。 食事が終わるとショーの時間で、華やかな舞台は息もつか せぬすさまじさでしたが、時折、夢か現かわからない感じに なりました。考えてみれば、不眠のまま21時間を過ごしたの ですから・・・・・。でも、それがショーの目まぐるしさを夢だと 思わせた効果があったのかも・・・・。 夏時間でしたが、ショーの終わりは深夜12時です。リドの前 には、次のショーを見る人々が行列を作っていました。 深夜もこうしてショーを楽しむのですね。食後の散歩をして ショーを見るのが、パリッ子なのでしょうか。田舎者の私には 理解できません。 |
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早朝のコンコルド広場 |
時差のせいでしょう。とんでもない時間に目が覚めてしましま した。 朝食時間の前に、ホテルの近くをさんぽしました。コンコルド 広場はご覧の通り、人気がありません。 ここを抜けてセーヌ川にそう道は環境保全地帯です。 桐の花、マロニエの花が盛りと咲いて、新緑を渡る風が心地 よく感じられ、時差に翻弄された身体がもとに戻ったようです。 オランジェリー美術館をよこてに見て、対岸にオルセー美術館 を見ながらの散策です。ジョギングをする人たちがいました。 一回りしてチューリップが終わりに近い花をひろげている公園 を抜けてホテルに帰りました。 |
ヴェルサイユ宮殿 |
太陽王の騎馬像と宮殿の裏庭 |
ヴェルサイユ宮殿です。宮殿の写真は誰もが素晴らしいの を撮っておられるでしょうから、そちらから見せて頂いて 下さい。 ここはパリから車で40分程。途中は緑豊かな風景です。王の 狩り場であったブローニュの森から20キロほどのところにあり ます。王の遊びのための宮殿だったそうですが、学生、団体の 見学客が(私たちも・・・です)犇めきあっています。 正門から入ると前庭には太陽王の騎馬像で、写真スポット。 しかれている石畳はまことに凸凹で歩きにくいのですが、ここ を、王や貴族が馬車を乗り入れ、華麗な生活をしたのですね。 宮殿の溜息の出るような壁画、壁面装飾、調度、ベッドルーム 等々の有様は、誰もがもっと素晴らしい写真で撮ってあります から、省略します。デビットのナポレオン戴冠式の絵がありま す。これはルーブル美術館にもありますが、どこだか一寸違う ところがあるそうですが、私にはわかりません。 何よりも見渡すかぎりの広大な庭園に感動します。その池に 沢山の船を浮かべて遊んだといいます。 王がここに住むようになってからヴェルサイユは貴族達も館を 連ねたということで、静かなかんきょうに調和のとれた街です。 |
パリから港町 ル・アーブルへ |
パリへ帰ってルーブル美術館をチラリと覗いて、ノー トルダム寺院を一寸仰ぎ見て、見たいところが沢山 ありますが、今回は船に乗るのでまずは港・ル・ア ーブルへと向かいます。パリは殆ど省略しましたが、 証拠写真としてエッフェル塔と私が写したヴィーナス 像を見ていただきます。 ル・アーブルまでは田舎道。フランスが農業国と言うことを納得させられる風景を見ながら車を走らせました。 この港町はイギリスと海峡を隔てて、セーヌの河口に あります。大戦で殆どの建物が破壊されています。ド ーバー海峡がトンネルで結ばれてから、パリへの玄 関口であったこの町はすっかり活気を失ったとか。 日本でも聞くような話でした。 シーフードレストランで食事。午後8時と言うのに日は まだ高くで眩しい夕暮れでした。 道路には沢山の乗用車が停車していました。大凡の 国では、日本車がありますが、流石フランス。日本車 は一台もありませんでした。 |