永平寺3
福井
永平寺
金沢 金沢
金沢ステーション  


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駅と言うよりもステーションと言うのが相応しい感じです。 昔は停車場なんて言いましたよね。スゴーい構造物でし た。北陸新幹線の新しい出発ですね。
「鼓門」と言うのが駅の門だと聞きましたが、それより先  にこのメカニックな構造物(名前は知りません)に驚か  されまた。
駅のシンボルは「鼓門」。どうしてそんな名前なのかと思いましたが、ポインターを載せて見て下さい。
確かに金沢・加賀百万石をと言う歴史を感じさせる鼓門でした。

海が見えた。  



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  ホテルは二十六階に泊まります。二十九階建てです。金沢で一番高い建物で遙かに海が見えました。
今日ではよほど高いところからでないと、周辺のビルに阻まれて海は見えなくなりましたので、少し驚くような景観でした。ちょうど夕暮れどきで海の上が光って見えました。

金沢から海がみえるのが当然なのですが、思い出したのは、あの戦後の苛烈な「内灘闘争」の事でした。
1952年の朝鮮戦争のときのアメリカ軍の試射場となった内灘はこの近くの海岸でした・・・・。
夜になると街の灯りが広がって続いて見えました。
 尾山神社    

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加賀百石の始祖前田利家が死去し、二代目利長が神として祀ろうとしましたが、外様大名の立場なので物部八幡宮ならびに榊葉神明宮を遷座する名目で、卯辰山麓に社殿を建立し、利家公の神霊を合祀したのだそうです。

廃藩置県後利家の功績を崇敬していた旧加賀藩士の人々は、明治6年に旧金谷御殿の跡地である現在の場所に立派な社殿を新築し、尾山神社と言う名称で、郷社に列せられました。明治35年には別格官幣社になりました。平成10年には正室である
お松の方も合祀されたそうです。どうしてそんなにおくれたのか知りません。

この神社で目をひくのは鳥居の奥にある神門と言うものです。津田と言う人の計画図によって明治8年に作られたものだそうで、洋風建築を模した三層のつくりです。一階が?を使ったアーチの門。二階。三階が木造に漆喰塗りで作られており、何よりも三階の窓が、美しいステンドグラスで飾られているのでおどろかされます。それに屋根の上には日本最古の避雷針がついているのですから吃驚です

灯台として使われてのだと言う事ですが、美しい、特異な神門です。

  堂形の椎の木    


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1924年に竣工した旧石川県庁舎本館はいま「しいの木迎賓館」となっていました。このの設計は国会議事堂などの設計に携わった、矢橋賢吉氏。施工は現:大成建設だそうです。
県庁舎の移転に伴い、石川県政記念としてしいのき迎賓館として生まれ変わったのでした。旧県庁舎の一部玄関ホール、階段その他をそのまま保存。昭和16年に、天然記念物として指定された正面玄関前の2本のしいのきと一体化した外観。歴史的な意匠を遺す内部のデザインと共に、素晴らしい迎賓館になって使われていました

東茶屋街と主計茶屋街

東茶屋街




西茶野外と主計茶屋街。ポインターをのせて下さい。



 

金沢と言えば茶屋街。茶屋街と言う所が三箇所ありました。東茶屋街・西茶屋街そして主計町茶屋街。
最も賑やかで歩くのにも苦労なところは、東茶屋街。チョロチョロとお行儀の悪い貸衣装の和服姿の若いカップルが、巫山戯ていたりして、気分が良くありませんでした。ごちゃごちゃといろいろなお店も出ていて、十二年ぐらい前に来たときは、ゆっくりと。伝統的建造物となっている所に入って見たりしながら歩きましたが、今はそれどころでない混雑ぶりでした。

アンティークのコーヒーカップなどを売っている所に入ったりしながら、雰囲気を少し経験したくらいで、落ち着きませんでした。
それに比べて、西茶屋街は建物は同じ感じですが人の騒がしさはなくて良かったです。

茶屋街には芸技さんも居るわけですが、日中の散策では見かける事がありませんでした。この頃は芸技さんの数が少なったとか聞きました。

置屋さんは縁起物を飾ったりして見せていましたが、
小学校6年生の連れが喜ばないので、じっくりと見ることはせず、金箔加工のお店にゆき、友達へのお土産を買わせてホテルに帰りました。

卯辰山からの茶屋街と摩利支天と五本松。  


茶屋街の向こうは川を挟んでビル街。


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摩利支天と五本松
 


泉鏡花や芥川龍之介ら文豪が愛したと言う卯辰山の上から眺める金沢の街です。今はすっかりビル群で覆い尽くされている街ですが、当時はきっと海までのぞむことが出来ただろうと想像されます。

街の賑わいとは違って、この小山は観光客もあまり尋ねてこない様です。タクシーのドライバーがクネクネとまがる細い道を登ってきました。

この卯辰山には 加賀藩主・前田利家の守護神「摩利支天(まりしてん)」を本尊とする高野山 真言宗の寺の宝泉寺があるのですが、全く人の気配がしませんでした。下にみえる茶屋街の賑わいからは想像出来ない静かさです。

その境内にはご神木の五本松(ごほんまつ)があり、平成十四年に金沢市が名勝として指定したと言う説明板があります。一本の木の根から5本の幹が出ているのだそうで、ご神木だとして大事にされているのだそうです。

私は読んでいませんけれど、明治の文豪である泉鏡花が作品の中でこの五本松を取り上げているそうです。。
 

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